2014年3月15日土曜日

メメント・盛

 母の1周忌 親族で墓参りと会食をしました。 
私は墓参り大好きです。 彼岸とお盆の墓参りを欠かさなかった父母に連れられて毎年墓参りをしてきたからか、永井荷風が正岡子規や芥川龍之介の墓参りをかかさなかったことにに触発されているのかお墓まいりがなぜか好きです。お墓の集まる墓地もいいなと思います。特に多磨墓地はその下に4万の遺骨が眠っているかと思うとぞくぞくします。言い知れぬ静かさに包まれる墓地と心の中のなにかが触れ合うからでしょうか。墓石や墓所のもつムードもあります。遺骨となっても残るものがいかに大きいか墓地はそのことを教えているように思うのです。
 母が亡くなって一年 父が亡くなってもう13年 亡くなってから気づくこともまた多いものです。父の仕事ぶり、家族との繋がり、戦争のこと、父の青春や価値観など残されたものを手掛かりにいろいろ想像をめぐらすのは今となっては楽しい時間です。家があり遺品があるからできる道楽かもしれません。
 母はまだ新鮮なので 箪笥、食器棚、机、鏡台などの抽斗をあけるとまだ母の匂いがあり「なにやっているの?」ときれいにならんだハンカチが見つめています。ギョ ギョ
多磨墓地 梅原龍三郎氏墓
いづれ 母の記憶も忘却のかなたに消えてしまうのでしょうがそれまでは楽しもうと思います。そういう気持ちにやっと1年かけてなってきました。親とはいくら大人になっても一心胴体のようなきってもきれない臍のような繋がりかたを感じるものなのですね。
 子供は遺骨になってから母親・父親という役割から離れて一人の人間としての魅力を発見する機会に恵まれるように思います。
 私還暦 いい年齢になりました。まずは私が育つまで健康で生きていてくれた両親に感謝です。自分の経験も生かして両親の生きてきた時代を考える時間もまだあります。
 自分のお墓のことを考えるのもいいことだと思いますが しばし親の死に向き合う静かさが生活の中にあってもいいでしょう。

 メメント・モリは memento mori  ラテン語で「自分が(いつか)死ぬことを忘れるな」という意味の警句 ここでは 「モリ」を「盛」にしてみました。
「死は盛だくさんの人生の受け皿」の意味を「盛」に重ねてみたのですが どうでしょう?
 

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