2013年10月30日水曜日

川は流れる

多摩川川岸 川崎方面をのぞむ

 今日は昨日とはうって変って秋晴れの朝 ウォーキングを初めて3日目
自宅ー多摩川の往復は約5000歩 ゆっくり1時間
今日の場合は約3.7㎞歩き消費カロリーは117kcalでした。
 アイフォンのアプリWalkerを歩数計と健康管理に使い始めました。
私の子供の頃は多摩川は公害で騒がれていて魚や野鳥を見る機会ありませんでした。
犬の散歩がせいぜいでした。今は水はきれいだし野鳥も多く、観察会もよく開かれて
います。
 河岸を歩いていると深呼吸をしたり鼻歌をうたってみたり突然駆け出したりします。
今日は水量が多くゆったり流れていました。気持ちいい~。
3日坊主になりませんように というところでしょうか


2013年10月29日火曜日

隅田川夏模様


 今日は朝から小雨模様 午後には本降りになって風邪をひきはじめた人には
辛いところです。写真の整理というのはこういう気分のときには丁度よさそう。
昔の記憶、去年の記憶ですっかり頭の中が入れ替わってしまいました。
 昨年盛夏の隅田川 対岸に輝かく金色のキリン本社ビルとうんこじゃなくてきんとん雲
手前の水上バス・ビルに映るスカイツリー 首都高速が邪魔!!
東京オリンピックの前にはこの隅田川の風景を誰が想像できたでしょう? 
この風景はあと何年みられるのでしょうか 7年後のオリンピックではこのあたり
どうなるのでしょう。隅田川は流れていると思いますが・・・・

2013年10月28日月曜日

文化祭だって!! 43年ぶりの母校

秋空に誘われて母校の文化祭に出かけました。
何か理由でもなければ出かけることはまずないイベントの一つです。
母校への愛着からは程遠い気持ちでいましたが還暦を機に同級生に
会う機会も多くなりました。実家のある東京と結婚生活をしてきた
名古屋を両方ともに拠点にしています。
 東京は 友達の輪というところでしょうか。
高校卒業以来とすれば42年ぶりになります。中高合同の文化祭に
同窓会ブースを出展するのが今日の理由
 学生たちの制服姿は42年前も同じ 制服の埃っぽい匂いが記憶の
底から湧き上がってきます。
 中学生の発表は元気があって可愛らしい。真面目な一生懸命さに
好感がもてます。私は高校では新聞部 今は新聞部は文芸部に様変わり
パソコン屈指したプレゼンや今どきの熱きダンスやミュージカル
歓声のあがる運動場での試合の数々・列のできる売店
と活気のみなぎる文化祭でした。
 懐かしい先生の姿が見えないのが残念!!
よく遊び物思いにふけり喧嘩もしたベランダは健在
 遠く多摩川が光っていました。何度も思い出そうとも
思い出せない思春期の思い出の数々 ただソコにいた
ということだけが実感として思い出せる不思議な時間を過ごしました。
通学路に色づく へくそかずら

東京タワーは強かった。


秋空に雄叫び 東京タワー



台風一過 秋空の一日 来日した婿を連れて東京タワーの観光をしました。
私は小学生の遠足以来の訪問 50年ぶりになるかも・・
一か月ほど前に部材落下の事故があって最上階の展望台まではのぼれませんでした。
50年ぶりに上る東京タワーはそれで十分です。周辺のビルや寺や公園が
等身大で迫ってきます。驚きの記憶は月日が経つほど肥大してくるようで
「東京タワーはもっと大きかった。もっと高いところに上った」と記憶を修正
するのにやっきになっている私です。東京タワーの回顧写真は白黒なのに
小学生の記憶は立派なカラー写真です。
 もちろん 婿は東京スカイツリーがよかったようで少々ご不満な様子では
ありました。誰でも新しいものは好きですものね。60年後スカイツリーも
また同じように愛着をもって見に来る人がいるでしょうね。でもきっと東京タワーの
ような手作り感ばんばんのひと肌のような東京タワーの匂いはないでしょう。
 大切にしたい東京のシンボルでした。青空がよく似合います。

秋のピーマン

今年2回目のピーマンの収穫です。
小ぶりで固めですが甘い。採りたては美味しく思えます。
去年、今年と親戚がプランターごと苗を届けてくれました。
トマト、ナス、そしてピーマン 土の色が違います。
この暑さでたかがプランターでも水遣りはたいへんでした。
いづれ家庭菜園をやってみたいという私の気持ちに応えて
「まずはプランターからやってみたら?」というわけ。
水やりと収穫 の楽しみをちょっと味合わせてもらいました。


ピーマンマン 知ってる?

2013年10月12日土曜日

ブログ再開・再会

 ブログをはじめたのが2011年11月 今2013年の10月私は誕生月の11月が近くなるとそわそわしてきます。何か目にみえない軌道をまわっているようにも思えるし脱皮する予感とでももうしましょうか。秋の気配がなんとも嬉しく感じられ何か変化の予感がするのです。脱皮というのも面白い体内感覚です。ちなみに私は蛇年です。この2年の間いろいろありました。ブログが更新できませんでした。パソコンに向かう生活のリズムが作れませんでしたので今回の再開では更新が続くような工夫をしてゆこうと思ってます。
 まずは先行投資でパソコンをリニューアルしました。真っ赤なLaVie(NEC)です。よきパートナーになってほしいわ。会いたくなるようなパートナーでないとね。今のところ起動も早くキー操作のレスポンスもいいです。
 この2年間の中で重要な出来事は東関東大震災と実母88歳の看取りでした。私還暦を迎える手前のこの2つの出来事は、これからの人生にとっては繰り返し振り変わらざるを得ないことのように思います。そんな思いもこのブログに書いてみましょう。 もう一つ ブログを書くことをダイジョウダンに構えない。その一言がブログ再開のきっかけになりました。同じことを言われたり読んだりしていましたが今だからふっと肩の荷を下ろすことができたように思います。ブログに再会できました。
 
myLaVieから転載 夕日? 朝日?

亀は見ていた

亀もいろいろあれど ミヒャエル・エンデ「モモ」の亀カシオペアをご存じですか 浦島太郎の竜宮城の亀・高砂に登場する亀は万年たしか太古の宇宙では地球は亀の背中に乗っていたような。という具合に亀は異次元世界と今を行き来する生物の代表格です。この写真の亀は買い物の途中の甕に生息している亀です。果たして異次元に私を誘ってくれるでしょうか。この甕の前を通るときは中の亀をのぞき挨拶することにしています。ときどき私の声が聞こえるのか首をもたげて私の方をみるような表情をしてくれるのがなんとも言えず魅力的です。この甕は歩道に面しておかれています。最近 近所に大きなスーパーが開店しました。甕の前を行きかう人も多くなりました。甕の中の亀は何をみているのでしょう。
 「おいおい そんなにゆっくり歩かれてはこまるな」という気持ちが全身から伝わってくるように歩く人。その前をひとりのお年寄りが杖をついて歩いてゆきます。お年寄りがスーパーに到着するまでに何人に追い抜かれたことでしょう。お年寄りは追い抜かれるたびにはっとして立ち止まります。きっと後ろからの勢いを感じて足がすくむのでしょう。でも狭い歩道ではどうしようもありません。人が最短距離を選ぶのは当然のことですが狭い歩道はお年寄りやベビーカーをひく人 ゆっくり歩きたい人に譲りましょうよ。「急がば廻れ」ということわざにもあるように気持ちに勢いのあるときは広い通りを選ぶようなゆとりがほしいもの。足の力が弱く、耳目もはっきりしなくなったお年寄りにくらべたら若い人には選択肢がたくさんあることを忘れてはいませんか。いつも通っている道だからという気持ちに流されていませんか。創造的な生活を望むなら惰性は禁物ですよ。


亀曰く「急がば廻れ そんなに急いでどこゆくの? 急いでいるときこそちょっと立ち止まって私をみてよ!!! 」
この亀はしばらく出家し帰還を果たしました。

水やり


 
 種をまくと水やりをしたくなる。というよりしなければならない。雨に任せておくわけにもいかない。やりすぎてもいけないしやらないのもいけない。難しい。家の中のもの外のものでは水やりの量が違う。「鉢植えのものは表面の土が乾いたら」とか「気温が下がってきたら水やりは控える」とか「暑い日中に水やりはしない」とか言われる。園芸家は育てる植物の顔色をうかがうようにして水やりをするのだろう。母はその点 園芸家というわけにはいかないようだ。同じように水やりをしてしまう。暑ければせっせと水やりをしたりもする。子供たちがあまり手伝わないのでというか愛情を寄せないとみたか水やりは自分の仕事と心得ているようだ。水やりをしながら母はに感情移入をしている。「おおきくなったね。」「花が咲きそうだね。」なかなかほほえましい。そのくせ害虫に対しては異様に攻撃的になる。虫も花も同じように思う私とは少し違う。母の水やりにはルールがあるようだ。窓際の花にはこのじょうろを使う。ベランダにはこのじょうろ水の量はこの鉢ではこのくらいというふうに だから母の替わりに水やりをするのはとても疲れるわけで花が枯れたりすれば水やりをルールどおりしなかったと手伝った者のせいにする。
高齢の母にとって水やりは大事な一日の始まりになっている。ルールができるまでには時間がかかる。花が咲き、終わるとい時間が必要だ。その時間があるから母のなかで決まりができてくるように思う。毎日同じ時間、同じ場所で水やりをすることで花や植物の変化に気がつくことができるようだ。其の変化が見られるから水やりに責任感を感じずにいれないのだろう。

土いじり

土いじりをする母の後姿をみていると原っぱで暗くなるまで遊んでいる頃を思い出す。母の背中が小さく見えるからだけではない。しゃがむ姿勢が懐かしいからだ。めったにしゃがんだりしなくなった。母 大正13年の鼠年だ。干支で歳を図ることも少なくなった。母たちくらいになると何歳?と尋ねるより干支で尋ねた方がはっきりすることがある。でも動物にたとえられるのはあまり気持ちのよいものではないかもしれない。
 母は庭にでて草木をさわるということが少なくなった。足腰が弱くなったせいもあり指に力が入らないという気持ちもてつだうのだろう。庭木の剪定や草むしり、虫取りはもっぱら娘どもの仕事になってきている。それでも庭木が気になるらしく見て回っては葉っぱをひろったりして過ごすこともある。母は自分から何かしてほしいと直接言わないところがある。なんとも歯がゆいが「花がないんじゃない?」という。それは花屋につれていってほしいということなのだがこういう言い方は母の性格なのだろうか。私には大正生まれの専業主婦の自己主張の方法のように思える。子供はそういう母親の言葉から深読みしなければならないわけである。花屋に連れてゆくと球根を買った。干からびたプランターの土をほぐし、陽に干して消毒しプランターに戻した。肥料もたして買ってきた球根を丁寧に埋めていた。半日仕事である。毎日芽がでるのを楽しみにしている様子がある。母の言葉についむっとなる気持ちもないではないがプランターの土に埋められた球根が芽がでてくるのを自分もどこかで楽しみにしている。水やりは母の仕事だ。忘れないでほしい。春はまだずっと先だから




本所界隈

京急本所吾妻橋の駅を出て後ろを振り返るとそこにウルトラマンのようにスカイツリ―がたっている。三つ目通りを木場方面に向かって歩いていると右手に寺がある。ここには奥ゆかしい言われがあり安政の大地震と関東大震災の2度にわたって枯れたにもかかわらず生き延びてきた井戸がある。三つ目通りも東西に走る**通りも意外に幅広い通りだ。
一本筋を入っても広い通りが続いている。江戸時代には大名の別宅が居並ぶ閑静な郊外の名残だろうか。本所中学を横目に高砂部屋まで歩いてゆく。周囲は低層鉄筋のビルが林立しているが家内工業であったり運送業や板金・革工芸の小さい工房であったりする。ビルの隙間をうめるように小さな焼き鳥屋が店を開いていたりする。歩道の両側に所せましと鉢物がならんでいる。昼下がりは静かだ。人通りも少ないがどこかのんびりした空気が漂っている。壁に貼られた祭りのちらしに並んで自衛隊や東日本大震災のボランティアの募集が貼られている。遠くで自転車にのったおばさんが私の方に向かって笑って会釈をしているのがみえた。どうも相手は私の後ろを歩いていた人だったようだ。あいさつとは不思議なものだ。見ず知らずの人であっても笑顔で頭を下げられるとなにか一瞬繋がりができたような錯覚に陥ってしまうからだ。あいさつの威力はたいしたものだ。私みたいなおっちょこちょいは「どこかで会った人かな」なんて首をかしげてしまったりする。もっと喧騒のある街ならそんなことも思わないだろうがこの町を歩いるとなぜか知り合いがいそうな気になる。この人のあいさつが私に威力を発揮したのはこの町の空気感のようなものに私が押されたからではないだろうか。目的地に向かって歩いてはいるけれど五感はいろいろなものを感じている。

吾妻橋付近の寺の庭

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...