2013年10月12日土曜日

水やり


 
 種をまくと水やりをしたくなる。というよりしなければならない。雨に任せておくわけにもいかない。やりすぎてもいけないしやらないのもいけない。難しい。家の中のもの外のものでは水やりの量が違う。「鉢植えのものは表面の土が乾いたら」とか「気温が下がってきたら水やりは控える」とか「暑い日中に水やりはしない」とか言われる。園芸家は育てる植物の顔色をうかがうようにして水やりをするのだろう。母はその点 園芸家というわけにはいかないようだ。同じように水やりをしてしまう。暑ければせっせと水やりをしたりもする。子供たちがあまり手伝わないのでというか愛情を寄せないとみたか水やりは自分の仕事と心得ているようだ。水やりをしながら母はに感情移入をしている。「おおきくなったね。」「花が咲きそうだね。」なかなかほほえましい。そのくせ害虫に対しては異様に攻撃的になる。虫も花も同じように思う私とは少し違う。母の水やりにはルールがあるようだ。窓際の花にはこのじょうろを使う。ベランダにはこのじょうろ水の量はこの鉢ではこのくらいというふうに だから母の替わりに水やりをするのはとても疲れるわけで花が枯れたりすれば水やりをルールどおりしなかったと手伝った者のせいにする。
高齢の母にとって水やりは大事な一日の始まりになっている。ルールができるまでには時間がかかる。花が咲き、終わるとい時間が必要だ。その時間があるから母のなかで決まりができてくるように思う。毎日同じ時間、同じ場所で水やりをすることで花や植物の変化に気がつくことができるようだ。其の変化が見られるから水やりに責任感を感じずにいれないのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...