土いじりをする母の後姿をみていると原っぱで暗くなるまで遊んでいる頃を思い出す。母の背中が小さく見えるからだけではない。しゃがむ姿勢が懐かしいからだ。めったにしゃがんだりしなくなった。母 大正13年の鼠年だ。干支で歳を図ることも少なくなった。母たちくらいになると何歳?と尋ねるより干支で尋ねた方がはっきりすることがある。でも動物にたとえられるのはあまり気持ちのよいものではないかもしれない。
母は庭にでて草木をさわるということが少なくなった。足腰が弱くなったせいもあり指に力が入らないという気持ちもてつだうのだろう。庭木の剪定や草むしり、虫取りはもっぱら娘どもの仕事になってきている。それでも庭木が気になるらしく見て回っては葉っぱをひろったりして過ごすこともある。母は自分から何かしてほしいと直接言わないところがある。なんとも歯がゆいが「花がないんじゃない?」という。それは花屋につれていってほしいということなのだがこういう言い方は母の性格なのだろうか。私には大正生まれの専業主婦の自己主張の方法のように思える。子供はそういう母親の言葉から深読みしなければならないわけである。花屋に連れてゆくと球根を買った。干からびたプランターの土をほぐし、陽に干して消毒しプランターに戻した。肥料もたして買ってきた球根を丁寧に埋めていた。半日仕事である。毎日芽がでるのを楽しみにしている様子がある。母の言葉についむっとなる気持ちもないではないがプランターの土に埋められた球根が芽がでてくるのを自分もどこかで楽しみにしている。水やりは母の仕事だ。忘れないでほしい。春はまだずっと先だから
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