2014年5月7日水曜日

東海道 53次のうち31次まで

東海道本線からみる景色

 今年の連休は奥浜名湖横山で過ごすことになりました。私は横浜から東海道本線でのんびりゆくことにしました。東海道本線を掛川で乗り換え天浜線を使って約6時間の旅となりました。
学生時代はよく熱海までこの東海道本線を使って来たことが思い出されます。連休ですが東海道本線はほとんど軽装の旅人、中高年ハイキング組 若手学生集団、言わずと知れたチープ大好きカップルです。ニュースになるような混雑はなく最初から最後まで腰かけることができました。新幹線は快適すぎて寝てしまうことが多いのです。クッションのせいでしょうか。今回の道中は 熱海・掛川と適当に乗り換えがあり気分転換にもなりシートの堅さが通勤バージョンで一冊本が読めました。
 天浜線は1時間に一本 ゆっくり東海道を豊橋に向かって天竜川を超え奥浜名湖を回ってゆきます。一両編成ののどかな路線です。東海版あまちゃんの世界です。乗客も鉄道マニアが三分の一
天浜線 遠江一宮あたりの茶畑


あとはジモピー(地元の人たち)です。東海道線といい天浜線といい東名高速や新幹線の目に慣れてしまった私にはとても新鮮な視野が展開しました。列車のスピードはシャッターを押しても景色が流れない程度 東海道線は富士の裾野をなでるように進み富士の高嶺がゆっくりじっくり拝めます。これが今年の休暇の一大収穫のひとつでした。
東海道53次のうち掛川宿が26番目 ここから東海道は海岸線に入り袋井・見付・浜松・舞阪・新居・白須賀宿で湖西市を通り 二川・吉田宿の豊橋市に入ります。東海道と切れるのかなと思ったら天浜線の気賀駅には気賀関所があり姫様道中のお祭りもあるとか。姫は姫の道をゆくということでしょうか

天浜線 三ヶ日あたりの浜
天浜線の駅
天浜線の駅は全線にわたり国の登録有形文化財駅舎に登録されています。どの駅も映画の一シーンになりそうな昭和の匂いがします。線路はどちらをみても新緑に消えてゆき映画「小さな恋のメロディー」のラストシーンの主人公の二人が現れそうな景色でした。
電車を待ちながら映画の主人公を気取る還暦おばさんは私だけではありませんでした。あしからず!
・・・「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」の映画でもよかった。浜名湖がロケ地になっています。どっちかというとこっちかな。昨今は「女はつらいよ」だものね。

2014年4月22日火曜日

下ノ畑二居リマス。おやつはいつものところだよ。

花巻農業高校敷地内の宮澤賢治像と羅須地人協会の家


新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変えよ

春と修羅 第4集 生徒諸君に寄せる から

羅須地人協会の家の教室
宮澤賢治は大正10年 25歳のときから大正15年 30歳まで花巻農業高校につとめました。30歳のとき依願退職して花巻川口町下根子の実家内別宅で羅須地人協会を設立し、農業芸術運動ともいうべき活動を始めます。元祖文理融合推進派なのです。農業に科学と芸術の融合をみていたのでしょうか。
 現在この家が農業高校敷地に移築されています。家の中に入ると木造家屋の強い匂いが戦前日本の生活にタイムスリップするのを助けます。2階に妹トシが臥せっていました。賢治はここで自炊し 賢治に共感する若い人たちと暖を取りながら交流を楽しみました。

      羅須地人は宮澤賢治の造語 地人は農民を指すようですがきっと土・大地とともに生きる人すべてを意味しているように思います。羅須についてはいくつもの説があるようです。 決め手はなく賢治も取り立てて説明していないようです。
 この板書はただ自分の居場所を教える伝言だけでなくその言葉には「おやつがあるよ」というという意味を含んでいるというエピソードがあることを知りました。「いるよ」でなく「居ります」という襟をたださせるような言葉遣いと合わせ宮澤賢治がいつまでも愛される才能と人柄を持ち合わせた人だったことを思わせるエピソードです。
 明治29年から昭和8年の37年間は日露戦争・第1次世界大戦、世界恐慌・米騒動・関東大震災東北の凶作、冷害が度重なります。賢治が生まれた明治29年の明治三陸大地震・津波そして亡くなる昭和8年の昭和三陸大地震・津波賢治は2つの大地震の間を生き抜きました。賢治の感受性は大地と宇宙と交流し続けざるをえなかったでしょう。
 盛岡・花巻を旅行してイーハトーブ(岩手)の自然は人格を感じさせるものがありました。突き放すようなあっけらかんとした大地と北上川、岩手山と周囲の山々は厳しさと輝きを同時に放っていました。また訪れてみたい土地・人宮澤賢治です。

 
    

どんと晴れ! 老兵 ここにあり

小岩井牧場の一本桜と岩手山
もうすぐ桜咲く
今年はウソの被害はなさそう


岩手山

そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひしめく微塵の深みの底に
きたなくしろく澱むもの
                    春と修羅 第1集 明治22年6月27日

小岩井牧場入り口付近 桜並木の古木
こちらも桜のつぼみがふくらんで古木もほんのりピンク


小岩井牧場 パート3から

生な松の丸太がいっぱいにつまれ
            (陽がいつかこっそりおりていて
             あたらしいテレピン油の蒸気圧)
1台だけがあるいている
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめった黒い腐植質と
石竹いろの花のかけら
さくらの並樹になったのだ
こんなしずかなめまぐるしさ






2014年4月18日金曜日

苦境でわかる私の限界

朝のニュースでボストンマラソンのテロ事件から1年の町の様子やテロには負けないという市民の意気込みを伝えていました。「苦境でわかった私の限界」はそのニュースの中で爆破により足を切断しリハビリに取り組む女性の発言でした。その女性は理不尽な被害にあったこと、足の切断という現実を人生の途上で抱えることになりました。その瞬間まで誰がそのことを予測することができたでしょう。それを思うと明日は我が身と思わざるをえません。
 私も60年の人生で何度も自分では苦境と思う状況を経験してきました。彼女のいうように確かにそのときに思わぬ知恵を発揮することができ出会いを得ることができたように思います。だから彼女の言葉が痛いほど心に残りました。もう一人被害にあい苦しい1年を過ごした女性は
「私にはこんなに力があったのだという知ることができた」と言っていました。なんと前向きな人たちでしょう。それだけに彼女たちの身に降りかかった理不尽さや痛みが想像されます。
 このニュースは力強く復活したボストンの様子を伝えるものでした。いまだ打ちひしがれて生活を立て直せない人たちは山ほどいるでしょう。ニュースは1面にすぎません。が苦境が人にいろいろなことを考える機会をつくりその人の人生を深めたことは確かのようです。苦境に立たされたことのない人はひとりもいないでしょう。テロや戦争のない社会をめざしつつも巻きこまれてゆく現代です。そのときになってみなければわかりませんがもし生き永らえることができたら「私」も彼女たちのように振り返えることのできる人間であってほしいと願います。 しかし どうかな? このヤモリのように尻尾をつままれて遠くに飛ばされてしまったら・・・。飛んでゆくヤモリは何を考えるのでしょう。「ヒエー」 か「鳥になったか?」「人間ども!!」 3択とすれば今の私は「鳥になったか?」と思うでしょうね。ここが対岸の火と思っているお人よしのお人よしたるところです。「人間ども!!」と思うのが当たり前の感情でしょう。
そこで人間に一矢を報うことができても解決できない問題が自分に残る。それが苦境です。苦境は自分という戦場かもしれません。お人よしには戦場が見えないでしょうね。戦場が見えないと生き残ることも難しいというものです。

2014年4月13日日曜日

いないいないばばあ ・・? おっと いないいないばあ!


いない・いない・バンブー
いないいないばあ いないいないばあ で孫一が笑うようになりました。 生後5か月。お母さんとお父さんの顔はわかっているようですね。ときたまご機嫌伺いのおばあちゃんのいないいないばあに、いまひとつのりの悪かった孫一が今回はしっかり笑いました。手で隠した顔がいないいないばあといって顔をだしたときのはっとした表情はこれまでにない感情の表れのようです。知的とでもいいましょうか 好奇心とでもいいましょうか 雨後の竹の子のような力強い表情です。
 いないいないばあの写真を探しているときに昨年の竹の子採りの写真を見つけました。春先の竹林で竹の子を見つけたときの「しめた」という感じに似てるような気がします。 採集民族の血が騒ぐという感じ 狩猟民族の血でもいいですね。孫一もそんな血が騒ぐようになってきたのでしょうか。確かに手に触ったものをつかんだり離したりするだけでなく、口にもっていくようにもなりました。つかむ力も強くなりました。ベッドサイドには、小さなぬいぐるみが10個ほど洗濯ばさみにつるされています。孫一はこれをよく見ていますが最近は手を伸ばすようになりました。ある日この小さなぬいぐるみたちはすべてベッドに落とされているという事件がありました。もちろん孫一の仕業です。
みた!つかんだ!とった! トラ・トラ・トラ 孫一戦闘態勢に入ります。おばあちゃんだって 「いないいないばばあ」などとは言わせないぞ。






デイ・サービス みっちゃん


横浜 山手111館のテーブルデスプレイ
日曜日に二人の老婦人をお招きして我が家でランチをしました。お二人とも母の友達です。3人の合計年齢は233歳になります。 母の一周忌も終わり気持ちにけじめもついたころです。お二人にとっても母とは同年齢でお互いの健康を気遣う間柄でしたのでさみしさもひとしおのことと思われました。お一人はご主人を亡くして一年 もうお一方は独身を通された方です。共通項は母と茶道というところでしょうか。それぞれが母を通して知り合いました。この日は牛肉たっぷりすきやきと私のつくった春野菜の含め煮ですませました。「お醤油とお酒、みりんとお砂糖、お水で割り下をたっぷり作っておくといいのよ」と母と同じように私を諭した後、お話の弾むこと弾むこと お一人は耳が遠くなられてから外出も億劫になってしまったといわれましたがご自分のこと、母のこと、茶道のお稽古このことをよく話されました。もう一人の老婦人もはっきりしたもの言いが潔く、滑舌もすばらしいので耳が遠くなられた方にとってもよくお話が聞こえていたのでしょう。お食事をしながら2時間楽しくすごすことができました。人生80を過ぎるとご自分の人生を振り返り言葉にしておきたくなるお気持ちが伝わってきます。お話をしながらご自分の終活の思いを語られるお二人に清々しさがありました。きっとよい人生の閉じ方をされるのではないでしょうか。頼もしく感じました。お二人ともお互いの人生に興味を持たれたことがお話を深いものにしていました。なぜ結婚に踏み切らなかったか。連れ合いがなくなってからの生活をどう楽しもうとされているか、茶道やお稽古事になんど助けられてきたことか。などなど私の話など木端微塵のごとく消えてしまいます。自慢話でも悲観的なお話でもお説教でもないほどよい加減のお話のお出来になるお二人です。母が亡くなってしまい身近に年長の身内が少ない私には貴重な存在です。私の知らない母もあり70代 80代の生き方ヒント集のような2時間でした。またこんな機会を作ってみましょう。ちょっとしたデイ・サービス気分ですが・・・サービスを受けたのは私のような・・・
 いろいろな社会的なサービスが増え利用者もサービスを選択できる時代になってはきましたが身近にできるサービスにもっと頭を使ってもいいのではないでしょうか。60代はそんな頭の使い方をしてみたいと思いました。

参上!ギャートルズ

ギャー
孫一 4ヶ月 ギャーギャーも近頃はバラエティーにとんできました。日本ではギャーギャーは泣き声と言いますが婿のアメリカでは叫び声と言います。泣き声と叫び声ではだいぶニュアンスが違いますね。日本人はウェットな精神構造だといわれています。ギャーギャーは「泣いている」と聞こえ可哀想という感情を引き起こして強く抱きしめる行動に親が出がちになります。
 同じ状況でギャーギャーの声が叫び声に聞こえると「どうしたの?」と近寄るか「何!!」という危機感をあおられたりします。泣き声にしても叫び声にしても親の感情はぐっと引き寄せられますが目の前の赤ちゃんに対しての構えには違いがでるように思うのです。この構えの違いが子供の育ち方にも大きく影響している思います。自分は親から「かわいそうに」と思われて近づかれてこられたか「なんだ?なんだ?」と好奇心の塊になって見つめられていたか。どちらがどうということはありませんが「なんだ?なんだ?」と赤ちゃんと一緒に同じ方向を見るという気持ちも成長には必要な関わり方に思います。どちらの眼差しに偏ることなく見つめられたら赤ちゃんものびのびと育ってゆくように思います。若い親は抱きしめたくなるような気持ちと何だろう?という気持ちに翻弄されながら赤ちゃんと一緒に人への距離感を育ててゆくのですね。
とるぞ
「かわいい」も「可哀想」と同じように相手に強く向かってゆく眼差しです。おばあちゃんは「かわいい」に偏りますよ。だって「なんだ? なんだ?」はだいたい答えに検討がついてしまいますもの。
 自分の子供特に長女のときは何もかもが初めてで子供がとんでもない生き物のように思えていました。今でも子供たちは「なんだ?なんだ?」の世界ですが。孫は違う。「かわいい かわいい」です。
 といっても孫は孫 自分の子供ではないので娘の遺伝子、婿の遺伝子、社会の荒波でどんなふうに展開するのか未知数ではあります。「かわいい」「かわいい」ばかりでなく「フォローミー」のように後ろからついてゆく眼差しもおばあちゃんには欠かせません。そういえばギャートルズはいつも草原をみんなで列を作って走り回っていましたね。もうすぐ孫一の後をお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさんが追いかけまわる日も近いでしょう。追いかけまわせるほどの草原が身近にあるといいのになあ。

はじめ人間ギャートルズ
 歌詞 園山俊二
 作曲 かまやつひろし
http://www.uta-net.com/movie/39513/


2014年3月31日月曜日

桜でゴメン 消費税

千鳥ヶ淵公園 夜桜
今年の桜 東京は28日開花宣言 29日には満開 30日春の嵐 そして今晩 千鳥ヶ淵公園で夜桜見物
  お花見は毎年繰り返される光景ですが人も花も年輪を重ね気分がリセットされるような気持ちになる風物詩のひとつです。
  年の始めは1月ですがいろいろな活動は4月に始まるのが日本では倣いになっています。
4月スタートは将来もそうでしょうか。温暖化も手伝って春秋のニュアンスのある季節が短く感じられるこのごろです。
 退職して家の事をするようになると年度末 年度始めのなんともいえないわくわくする気分のやり場に困りました。年度末の締めくくるわずらわしさもなく年度初めの新人との出会いに彩られることもなく日々がすぎてゆきます。 年度に縛られない自由さを感じながらやや寂しい気持ちもありという日々です。

  母は姑から家計簿の付け方を教わり亡くなる年の春まで50年近く続けてきました。晩年は計算が合わず何度も繰り返したり私と記帳を分担したこともありました。手元にあるノートは20冊以上になりました。主婦の年度始めは1月でした。大晦日は正月の準備のあと大掃除、家計簿を締めて 年越し蕎麦で1年が終わります。ノートを見ていると堅実な家庭の姿が見えてきます。残念ながら共働きの私にはこの姿は伝わっていません。20年後の私は自分の財産を管理する力持ち合わせているでしょうか。家計簿はパソコンアプリに変わり計算も電卓を使うことが当たり前になって暗算することがなくなりました。消費税8% の計算も暗算するにはめんどうです。これで自分のお財布の中味を大切にできるのでしょうか。と不安がよぎります。母にとっては家計簿は物価の値上がりを肌で感じ、倹約の工夫を自然に身に着けるための教科書だったようです。
満開の桜は年度初めの緊張感を一瞬忘れさせてしまう威力があります。だから4月なの消費税? 夜桜に繰り出す人たちに交じりながら束の間気晴らしを楽しみました。

2014年3月22日土曜日

朝まだき ウグイス初鳴き 東山

 3月17日 朝 庭先でウグイスの鳴き声を聞くことができました。しっかりした「ホーホケキョ」です、ケキョケキョは 縄張りに侵入する敵を知らせる鳴き方だそうです。「ホーホケキョ」も縄張りを知らせるようです。暖かくなった早朝に聴く「ホーホケキョ」は格別です。高らかに自分の居場所に名乗りをあげる小鳥のけなげな姿を想像すると元気がでてきます。私も透る声をだしてみたくなります。
春の始まりはそうでなくちゃ。 
 
馬酔木


水温む(みずぬるむ) 独活(うど)和え 蜆汁 雲雀 ムツゴロウ ミモザ ユキノシタ スズラン カタクリ アネモネ サクラソウ タンポポ 弥生 長閑 東風 風光る 雪の果て 霞 蜃気楼 山笑う流氷 流し雛 4月馬鹿 ・・・・

季寄せ・歳時記を読んでいるだけで春になる。夏の季語を読んでいると冬でも夏の気分になる。

港の見える丘公園の拾い物


港の見える丘公園から港をみる

 春風に誘われて港の見える丘公園まで出かけました。東急線終点の元町・中華街の駅6番出口をでてすぐ港の見える丘公園の入り口にはいることができます。一山上るともう港がみえます。この山の名前はアメリカ山、フランス山といってその昔領事館が軒を並べていたところでもあり周辺には当時の外国人高官の居宅が多く残っています。
 いまでこそおしゃれでハイカラな町ですがその昔はハイカラというよりも日本であって日本ではないような町だったでしょう。
 ここに住んだ外国人は丘の上から母国を思いさみしい思いを募らせていたのではないかと勝手に思います。ときどき聞こえる船からのぼーという音が明るい風景をロマンチックなものにしてしまいます。
YOKOHAMAは白壁と青空がよく似合う
霧笛橋
この公園の奥に県立神奈川近代文学館があります。黒岩重吾生誕90周年を記念した企画展が開催されていました。オール読物の黒岩重吾、怪しい作家と勝手に思い込んでいた私にはこの企画展は思い込みを払拭してくれました。さっそく全身麻痺になられたころの作品「どほらや人生」や代表作「背徳のメス」 額田王をテーマにした「茜に燃ゆ」や遺作「闇の左大臣 石上朝臣麻呂」を読んでみようかと思っています。これもご縁です。
 もうひとつご縁がありました。 ビデオライブラリーの「澁澤瀧彦を語る高橋睦郎氏」です。「時間を生きるのは辛いことです。おもてなしは辛いことを忘れさせるもの」という表現でオープンマインドでサービス精神旺盛な澁澤瀧彦の芸術活動を評されました。あっさり「時間を生きることは辛いことだ」と言われた高橋氏の言葉は、日頃「生きること=時間=楽しくなければ」と思い込んでいる私には目から鱗のお言葉でした。言葉でよく言い表せないのが残念ですが 「おもてなしこそ 辛い時間を忘れさせる。辛い時間を忘れさせるようなおもてなし」「生きることが辛いからこそ創作活動の時間つぶしに命をかける」という意味に私は受けとめ、勝手に得心しました。
 私は勝手な思い込みの多い人間です。ご縁を感じるとき勝手な思い込みに気づかされます。
還暦すぎると思い込みの多さに自分でうんざりしますが またそれだけご縁も多いものだと思い
おもてなしを受ける楽しみを味わおうと思います。

2014年3月19日水曜日

利休をたずねて

 



  あの人変わっていると思わない?と友人から同意をもとめられた茶道の師匠は「そうね あなたも私からみたら変わっているわよ」と切り返しかっかっと笑い飛ばしてきた話をおもしろそうに私に話してくれました。「自分の物差しで相手をみたら自分以外は誰だって変わっているに決まってるわ」師匠の人生哲学に触れるのもお茶のお稽古の楽しみです。4ヶ月のご無沙汰のご挨拶に師匠を訪問した日の一コマです。
 「 せっかくだから」とお茶のお稽古をしてくださいました。逆勝手のお薄点前 、右と左の点前の違いにアタフタしながら 師匠のお話に相槌を打つという日頃にない頭と身体の使い方でした。が終わってみれば 爽快感が残ります。ストレッチ体操をした後のような・・・・。4ヶ月の無沙汰は敷居を高くしてしまいますが行ってよかったお富さんでした。師匠の懐の深さに救われました。感謝!

孫美!誕生 

同じ日 孫一のところではクロアゲハが羽化しました。    次女の出産で 大阪にきています。生後まだ10日。右も左もわからないのは、若い親たちも同じです。「意外とわかってるな」と30数年前の記憶と孫一の時の記憶をたぐりながらおばあちゃんは、がんばって「子育て支援」の一端を担っていま...