2016年5月27日金曜日

がんばれ 事件記者!



 沖縄で夜間ウォーキング中の女性がアメリカ人の男性に襲われる痛ましい事件がありました。新聞記事では加害者の男性は翌々日に逮捕されたことを伝えていました。薬物を大量に飲んで救急搬送、退院後さらに飲酒を重ね逮捕時は義父に抱えられていたという記事でした。サミットで来朝されたオバマ大統領もこの事件に触れ被害者を悼みました。今日の新聞には加害者はアメリカ軍属の男性、動機は黙秘ということになっています。
 被害にあい死亡された女性 その家族のことを思うといたたまれません。ご冥福をお祈りするばかりです。若い女性を家族に持つ私も他人事ではありません。娘どもよ。夜間出歩かないでほしいと願います。
ブログの表題を「がんばれ 事件記者!」としました。 沖縄では米軍関係の事件が続いています。日本の政治家もこぞってアメリカ大統領に在留米軍の規律を守るようにと訴えています。もっと踏み込んで加害者の背景の取材の結果は報じられないのでしょうか。新聞や雑誌がこの事件を政治の材料で終わらしてしまってはいないでしょうか。
 婿がアメリカ人のこともありこの事件のことを聞いてみると彼は日本の新聞でクローズアップされない情報を使って意見をいいました。「加害者は軍人ではない。アメリカで日本人女性と知り合い彼女が妊娠したため生活基盤を日本にもつために来日していた。仕事を探していたのだろう。言葉がわからず文化も違う地域での生活で彼は追い詰められていたはずだ。経済的にも精神的にも苦しかったと思う。」と
 人が死ぬということ、人を殺すということはとても大きなエネルギーが必要なことです。だれでもそれだけのエネルギーをもって生きていることを気づかせる婿の話でした。
この話を聞いてから加害者の背景の取材をもっとしてほしいと思うようになりました。駐留軍に関わる人たちが何を考えなぜ追い詰められるのか。なぜ弱いものを攻撃するのか。なぜ繰り返すのか。同じ事件を繰り返さないためには加害者が殺人にいたった背景の取材に力をいれるべきです。若くして命を絶たれた女性は「なぜ殺されたか」を知る権利があります。「米軍が駐留しているからこういう事件がおこるのだ」では米軍がいなければ事件はおこらないということになります。その議論だけでは被害者が置き去りにされてしまうのではないでしょうか。殺人は人間の根源にある問題をはらんでいます。 駐留軍という文化の中で生活する者の問題に踏み込めなければいつまでも痛ましい事件を解決することはできません。情報過多の時代だからこそ冷静に粘って事実を探り報じる姿勢を新聞には期待します。新聞がかつて「悪魔のささやき」になってしまった反省を思い出してほしいと思います。事件記者よ。がんばって!

 

2016年5月20日金曜日

2歳半の鯉のぼり






 孫一はすっかり大人になっています。昨年の連休では抱っこされて鯉のぼりを見ていたのに今年は 100円ショップの店頭を飾るたくさんの鯉のぼりを抱きしめて「欲しい、欲しい」と大泣き。空高く泳ぐ鯉のぼりは「とってほしい」と駄々をこねる始末。なんでも「ダメ―」ダメダメ期まっただなかだけど「鯉のぼり」はOKの孫一。伸長95cm、体重15kgの2歳半となりました。保育園は一番大きなリンゴ組。遊びも変身ごっこ。孫一のお気に入りはなぜかドラえもんのしずかちゃん。おばあちゃんはあわてて「孫一は男の子だよ」とたしなめますが孫一は気にすることなく「ふ~ん ピンクかわいいね」だって。


インディアンテント ティピー

連休にはキャンプを体験しました。インディアンのティピーテントで一泊、新緑に囲まれてバーバーキューを楽しみました。やっぱり男の子です。 お父さんについて野山を探検にゆき薪に火をつけるのを手伝おうとしました。さすがにしずかちゃんにはならずおばあちゃんとランタンを担いで「里山にいってきま~す。おばあちゃんはこっち」と指図をします。体格のいい孫一はきっと保育園の外遊びではいつも最後尾を固めているのでしょう。
機関車 孫一
 孫一は人懐こいようで同じキャンプに来ている子供たちに興味津々。やっと毛虫を介してとなりのテントの小さな姉妹に近づくことができ楽しそうに一緒に毛虫をつついて遊ぶことができました。家にはカブトムシの幼虫4匹のビートルズが孫一の帰りを待ってます。楽しい楽しい2歳半 おばあちゃんは血圧計を片手に大サービスの連休となりました。
謎のグランマ キャッスル


銀座の「黒い雨」

私は作家のステレオタイプな運動が見えてくる作品が好きです。繰り返される単純な運動の中に無限の力と命があるような気がするから。単純な作業の連続にみえるけど決して画一的にならず気持ちのゆらぎが手に伝わり微妙な綾をみせてくれるからです。大坪さんの今回の作品は細長い新聞をこよりのように撚ってゆく作業。真ん中がわすかに膨らんでいる細長い生き物にも見えるモノがこれまた目に見えないほどの糸で天井から床まで1連につなげられています。そのいくつかは黒く塗られていました。白と黒が簾のように壁面に沿ってつりさげられた作品は窓際で雨をみているような錯覚に私を陥らせ、いつまでも見て居たい気持ちにさせられます。私はこの作品が製作された背景を聞かせていただいてびっくりしました。大坪さんは この作品は「黒い雨」に着想を得ていると言われました。広島に原爆が投下された後焼けた大地に降り注いだ放射能に汚染された雨からフクシマにふる雨へとイメージされたそうです。
 この作品の対面の壁にはシンプルな額装の小品が並んでいます。新聞紙にしみこむように張り付いた葉、そして 人間。どれも朽ちるのではなく溶解してゆくような姿をとどめていました。葉は葉脈を人間は骨格が不完全な姿で平面の片隅に残されています。額ではなく箱の中なのかもしれないと思いました。どこかヨゼフ・コーネルの作品を思い出させるものがあります。画廊の奥の小さなスペースで鉛に閉じ込められた種が並んだ箱をみました。もしかしたら作家が今回の製作の中で一番苦労したものではないかしら。
作家から「種です。」といわれるまで何の形だかわかりませんでした。こちらには命が閉じ込められています。「痛い!」と瞬間感じました。
 今を生きている作家は何を感じ何を表現しようとしているのかと私は好奇心に任せていろいろ見ますが大坪さんの作品にはどこか「痛み」を共有したいという波動があるように思います。
大坪美穂個展カードから 風しものゆくえ 蜜蝋画
 世界のどこかで起こっている戦争、国を追われる人たち、人災に傷つき、天災に見舞われる人たちの痛みをわかちあう術はほんとうにないのでしょうか。大坪さんの作品はひとつの回答を投げかけてくれているように思いました。

 外に出るとそこは銀座4丁目交差点 初夏の日差しがまぶしかった。

大坪美穂展ー沈黙の庭ー 5月6日から14日まで
 
於:ギャルリ・プス 

2016年3月24日木曜日

おじいちゃんを探して

 新聞で鴎外記念館の「100年前の鴎外とその時代」を開催している事を知って千駄木まで出かけました。鴎外記念館は当時「観潮楼」といわれ高台にあった鴎外私邸の跡地にあります。私邸は取り壊され記念館として生まれ変わりましたから「観潮楼」の面影は館内の模型で知るしかありません。100年前に観潮楼から見えたはずの浅草寺も今は立ち並ぶマンションの合間から見えるスカイツリーに変わりました。これが観潮楼か??? と永井荷風の「日和下駄」という作品に鴎外の住居がその後の借家人の不始末で焼けてしまって寂しがっているシーンがありました。そうだった!私は「観潮楼」が見たかったわけではなく100年前の鴎外に関心があったのでした。
 大正4-5年の頃 鴎外は陸軍軍医総監を辞任しています。私はこの辞任の背景にあった「脚気問題」に興味がありました。ドイツの病理学勃興の時代に留学し医学を修めた鴎外は「脚気」の病原菌説にこだわります。陸軍の鴎外に対し海軍は食糧説で抵抗しました。結局日露戦争では鴎外は陸軍に対し銀シャリを固持し麦飯を兵に支給しませんでした。日露戦争の戦死者のうち1万人は脚気で亡くなったといわれています。鴎外は生涯この「脚気問題」にこだわり臨時脚気病調査会に出席し続けていることを今回の展示で知ることができました。昨年27年秋に同記念館で「医学者としての鴎外」の特別展があったのですがこちらは見損ねてしまいました。
森鴎外記念館からの大イチョウと玄関
私のおじいちゃんですが、「当時「医界時報」という業界誌の記者をしていた。」と父の自分史に書いてありました。「医界時報」は山谷徳治郎という医学ジャーナリストが主筆を務める週刊新聞でした。彼は果敢に当時陸軍軍医総監の鴎外に業界誌上で脚気問題の論陣を張りました。鴎外が相手にしたかどうか定かではありませんが。因果関係に重きを置く西洋医学に対し経験則からの警鐘を鳴らし続けたようです。その後主筆を田中氏に譲ります。
おじいちゃんの接点はこの田中氏で仲人として家族ぐるみのお付き合いがあったようです。しかしおじいちゃんはこの「医海時報」を退職します。父は「一徹なところがあったのだろう」と書いていますが父が生まれたのは大正6年、退職の理由は定かではありません。その後おじいちゃんは霊気療法の施術を勉強したようです。草鞋を履き帽子とカバンをもって全国行脚の旅にでる姿が父の記憶に残っていました。そして私の生まれる1年前の昭和27年に67歳で亡くなっています。霊気療法は当時の民間療法です。創始者は臼井甕男(1865-1922)でした。信望者には軍人・華族などがおり知る人ぞ知るの世界だったのでしょう。
本駒込 富士宮神社の桜 満開!
 おじいちゃんが脚気論争をまじかに感じ取り、「原因究明があっての根治療法」が大事か「経験に基づいての対処療法」で命を守るかのせめぎあいに疲れてゆく様子が目に浮かびます。きっと癒しの本質が何かを民間療法に求めたのでしょうね。現在脚気の原因がビタミンであることがわかっています。健康食品として麦・五穀米なども重宝されています。
 霊気療法のようなハンドパワーによるヒーリングも代替療法のひとつとしてその位置を確保しています。おじいちゃんが生きていたらなんて言うだろうと思いながら千駄木からおじいちゃんが住み父が遊んだ本駒込の富士宮神社を見て帰りました。



2016年3月13日日曜日

春の贅沢 修学院離宮


下離宮正門内
中離宮・上離宮を結ぶ松並木

中離宮 楽只軒

上離宮から浴龍池を臨む

     
上離宮 窮邃亭北側の滝 
浴龍池 千歳橋


 3方の窓が開き自然に抱かれる上離宮 窮邃亭 


浴龍池をぐるり 遠方に千歳橋

2016年3月8日火曜日

啓蟄 小松石

 3月になり母の命日にお墓参りにゆきました。お彼岸を前に広い墓地には梅が満開、河津桜、蘇芳、桃の花が咲いています。気の早い雪柳も花をつけ始めています。この墓地一帯は昔雑木林、東京を縦断する野川の上流に位置します。そのためか墓地にもゆとりがあり墓石より赤松やケヤキ、プラタナスなどの大きな木が目立ち、桜のシーズンはお墓参りだけでなく花見客でにぎわいます。私もこの自然が好きでよく出かけます。
この林の中を歩いていると深呼吸をしたくなります。足元でごそごそという音も聞こえてきそうな気がします。町では感じられない感覚です。それもそのはず3月6日は啓蟄。という季語があるように土中の虫たちが春に向けて動き出す時期になるからです。足元の目に見えないところで虫たちが生まれ成虫になり命を全うしようというエネルギーが五感に感じられます。春ちょっと前の雑木林は爆発前のエネルギーが充満していいですね。こういうところにお墓があり家族が引き寄せられるということを大事にしてゆきたいと思いました。
 さて本小松石、石が好きだった父は旅行先でよく石を拾ってきています。母は海外旅行の土産に父に死海の石(岩塩)を持ち帰えるくらい石にこだわりをもっていました。そういう両親が建てた墓なので、墓石に自然石を使っています。小さな墓地の真ん中でデンとおかれた緑色の自然石は、年を経るごとに存在感を増してきています。
話題にしたい石は、この緑の石のことではなく墓誌を刻んだ石のことです。これが小松石というもので、検索しましたら伊豆の真鶴で産出する堅牢な石ということがわかりました。かつては江戸城の石垣に用いられたともありました。江戸時代と40万~50万年前の箱根の噴火活動がぐっと身近になりました。箱根外輪山の噴火で噴出した溶岩が急速に固まってできた安山岩で小松原というところで多く産出しました。採れる地域が限定されていることと石を切り出すのではなく、産出された形を利用しなければならない堅牢さがあるため、希少価値があるといわれ鎌倉時代から城の石垣づくりに用いられました。江戸には海路で運ばれその港として栄えたのが真鶴になります。
 最初 墓誌の石の表面にシミが出てきているのかしら?と思っていましたが、来歴や価値をしればシミも宝物に見えます。石の良しあしは、いろいろな石に出合いその来歴・形などに関心がもててわかってくるものがあるでしょう。しばらくはお宝として大事にしてゆこうと思いました。とはいうものの自分の見る目なんて危ういものだなとお腹の中で笑ってしまいます。「直観は大事」としていても、評判や情報でいくらでも揺らいでしまいます。だからといって直観を信じないわけでもありません。直観も評判も何かを大事にしようという気持ちがなければ、何にもなりませんものねえ。希少価値のある墓石を大事するということを通して、亡き親たちが大事にしたルーツへの感謝の気持ちや自分たちが生きた証を残そうとする気持ちに気づかされました。人間関係や諸事に追われ自分が何を大事にしようとしているかを、見失いがちな今日この頃、墓参りでよい時間を過ごすことができました。

 

2016年2月28日日曜日

スタビンズ君 久しぶりだね

 昼下がりの図書館で思いがけない本に出会いました。「ドリトル先生の航海記」 新潮社 2014年出版 福岡伸一訳です。 「ドリトル先生」は私の最初の全集に挑戦した本で井伏鱒二訳、小学校4年生くらいじゃなかったかと記憶しています。「ドリトル先生の郵便局」「ドリトル先生のアフリカ旅行」と続き怪盗ルパンのシリーズやシャーロックホームズ、宇宙戦争・海底2万里・地底探検・80日間世界一周など・・思い出されてきます。
 「ドリトル先生の航海記」を手にとって最初のページ水辺の町パドルビー、お話の進行役のスタビンズ少年の登場、町の風景、スタビンズ君のいでたちなどなど私の記憶はどんどん鮮明になってきます。オウムのポリネシア、犬のジップ、アヒルのダブダブ・・・その匂い、足についた泥の感触までが記憶として思い出されるのはどうしてでしょう。おかげですっかり虜になり毎夜毎夜就寝前に読書を楽しみました。 ドリトル先生の背格好と風体、おっとり構えているのにいろんなことができてしまう、極め付けは動物との会話。世界を股にかける活躍と今読めばおかしくなるほどのギャップも当時の小学生の目にはギャップでなく尊敬する大人の姿に映っていました。
 ドリトル先生は、スタビンズ少年をスタビンズ君と呼び、助手として頼りにしいろいろな事を任し意見を求めます。10歳の少年にはそういう大人扱いがうれしかったはずです。読者の少年少女もスタビンズ君に、自分をなぞらえて読みふけったに違いありません。いい本でした。60歳をすぎまた読む機会に恵まれるなんて、なんて幸せなことでしょう。ハリウッド映画でエディーマーフィーでドリトル先生が映画化されましたが私は見ていません。子供の頃の楽しい記憶が台無しになってしまうようで見る勇気がなかったのです。
 この小説は、ヒューロフティングが第1次世界大戦従軍中に息子あてに書いた物語を集めたものです。「夜間飛行」のサン・テグジュペリも従軍中にユダヤ人の友人にあて「星の王子様」を書きました。戦争の現実を受け入れざる得なかった人たちの心の支えが、家族や友人だったことがよくわかります。友人や子供達に何を伝えたいか、何を残したいかを考える事が、明日の命も知れないとわかったときの最後の力・知恵になったと思います。そういう時には人をひきつけずにおれない「物語」が生まれます。
 「ドリトル先生の航海記」の中では浮島クモサル島の2つの村の対立が物語の中心です。勧善懲悪の対立ですが、その結果負けてしまった悪人村に対するドリトル先生の演説がこの物語の目玉です。悪人に寛大で2つの村が末永く平和に暮らせるよう提案をしたものでした。この物語はドリトル先生が平和になり王様として自由に暮らせるクモサル島を捨て、ピンクの大ガラス海カタツムリに乗ってパドルピーに帰るところで終わります。
 読者の小学生はそこでドリトル先生の本来の使命に気づかされるのです。知らない生物を見つける博物学の旅の途中だったことを・・・。少年少女に夢を!が優しい父親ヒューロフティングの伝えたかったことなのだ。あのころの夢はいずこ?と60歳の読者は読み終わってぐすんとしてしまいました。あの頃私はほんとに動物と話しができるようになるのだと思いこんでいましたから。
 「10歳の孫一をスタビンズ君にしちゃおう。」 おばあちゃんドリトルは金魚・ウサギ・ハムスター、亀、クワガタなど飼ってスタビンズ君到来に備えよう。 いや 待てよ そのころにはほんとにDO Little「何もしない」になっているかも!?%$
 

2016年2月19日金曜日

瞳が回る!  X線観測衛星 「ひとみ」


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発射5秒前、4、3、2、1 轟音とともにアストローHが、種子島の宇宙センターから発射されました。 各地のパブリックビューイングにたくさんの人が集まりその発射を見守ったニュースが流れました。「重力波」の観測成功と合わせ、宇宙誕生の秘密に迫る科学者たちの新たな挑戦の始まりです。偶然とはいえ来るべくしてきている時の流れなのかもしれません。これからの20年、私が80歳になるころには、宇宙がもっと身近になっているに違いありません。「おばあちゃん ハネムーンは月だってさ」なんて成人した孫一が言うかもしれません。
私も孫一と一緒に、「ひとみ」に搭載された反射望遠鏡製作拠点大学内にある広報プラザで、発射から衛星が切り離されるまでを見ました。そこには開発と製作にかかわった人たちが大勢きており、静かな熱気に包まれていました。発射は静かに見守り衛星が切り離された瞬間会場に拍手が起こりました。ここにいる人たちの関心事は、ロケット飛ぶことより衛星が切り離される事にあったのです。実感!
「ひとみ」の観測が始まるのはまだ3か月も先になるようです。多くの成果をあげ、関わっている若い研究者たちの生活の糧になるといいなと思います。
アストローHの発射をみた子供たちは「宇宙」の存在を身近に感じ好奇心を燃やすに違いありません。今は「飛んだね」「おじいちゃんお話ししてたね」燃料タンクの切り離しをみて「こわれちゃったの?」あとは「○×△□○×・・・%#?」の孫一だってまた観測結果が話題になれば思い出すことでしょう。この日のことを。

 株式・日経平均・消費税・年金・金利・社会保障・保険・春闘・ベースアップなどなど経済だけでなく教育・芸術までもが市場・マーケットで語られる今日このごろ。大人がしばし「宇宙の誕生」を考え、探求する気持ちを取り戻すことができたら、社会にとってこんな幸せなことはありません。「これなあに?」「これなんだろう?」の孫一もすくすく伸びるというものです。パブリックビューイングに参加している子供たちと大人たちを見てまだまだ大丈夫と思いました。私、ここのところというより数十年前から日常些事に追われ「探求心」なるものがあることをすっかり忘れておりました。
プラネタリウムでX線の宇宙の姿を見てみたいものです。きっと可視光線で見る宇宙よりダイナミックに動いている宇宙が見える気がします。まるでイザナミ・イザナギが海をかき回しているような・・・!




男の花道、女の花道

  X線観測衛星アストローHの発射が悪天候のため延期になりました。春の到来とともに,衛星成功の吉報が流れるのを待ってます。
 サイエンス音痴の妻を持つ夫は,この衛星の反射望遠鏡の製作に長年携わってきました。いよいよこれが,退職前の最後のプロジェクトです。さすがの私も最後の花道が成功するよう願っています。私は宇宙への関心がないわけではありませんが,長年携わった仕事が人間相手でしたので現実とのギャップが大きすぎ,話の接点が見つからなくなってしまっています。きっと若いころには面白がって宇宙の話を聞いていたのでしょうに・・・。
 私たち共働き夫婦が,お互いの仕事に踏み込むことはありませんがこうして無事退職の時期を迎えることができそうでなによりです。昨今は私たちが結婚した頃に比べて共働き夫婦も多くなりました。家族で家事や育児、介護を分担しながら生活しています。回りを見渡せば同世代の女性には、専業主婦あり独身仕事一本とそれぞれに年齢と経験を重ね、頼もしく自立している人が多いことに気づかされます。
 私は介護で中途退職して5年目、看取りも卒業しセカンドライフも軌道に乗ってきたところです。それでもまだまだ仕事に追われる生活や、緊張感が忘れられないようで勝手に仕事を作っては忙しがっています。
 大きなプロジェクトや組織に、長年かかわってきた男性諸氏の退職後生活を、何が支えになってゆくのでしょう。図書館で調べものをしている中高年の男性、車いすを押して母親を介護する男性も、病院の待合い室で多く見かけます。ボランティアに参加している男性も増えているようです。小旅行の男性グループも、よく見かけます。 今まで女、子供が中心の町の集まりもしだいに男性が加わるようになりました。バス旅行を楽しむ人、美術館、音楽会に一人でいらしている男性もよく見かけます。じわじわと退職された団塊世代が、会社から地域社会に浸透してきている感じがします。
 84歳でなくなった父の日記には、退職を控えてこれからやりたいことを実現するんだという気持ちが綴られていました。あ~みんな感じることは、同じなのだなと励まされますが、自分の半生・仕事を振り返る時間はあるようでないもの。結局退職しても何も切り替わらないというのが今の私の感想です。
と言いながら、結局仕事と同じように自分で勝手に目的を作りだし日々を過ごしています。組織やプロジェクトという大きな枠組みが家庭や地域社会に代わるだけです。退職したくらいで自分は変わるものではありませんから仕事をしていたときのように目の前のことに取り組めばいつのまにか新たなプロジェクトや新たな人間関係や環境が見えてくるような気がします。還暦、健康寿命はよくてあと20年かな? 車もあと10年運転できれば立派です。先延ばしせず男も女もそれぞれの花道をどんどん進みましょう。


2016年2月7日日曜日

節分に泣く 鬼は外だあ~!

「9:00に鬼が来るから来てくださいね。」と保母さんに言われ 水曜日休みの母親は息子孫一を連れ保育園に。いきなりの鬼の登場に保育園は阿鼻叫喚の世界に。がぜん張り切って鬼にたちむかうリンゴ組のお兄ちゃんたち。日頃の孫一アンパンマンもどこへやらひたすら泣き叫び母親のおしりに逃げ隠れるイチゴ組、ポカーンとみているさくらんぼ組と孫一の通う保育園の節分の朝。母親が面白そうにその日の朝の様子を話してくれおばあちゃんは家の中を鬼になりきってウォーウォーいいながら歩き回る孫一を見ながら目を細めます。「泣いてたんじゃないの?」
 さてその夜お風呂で孫一は浴槽の中で自分からしゃがみ湯につかると1、2、3、・・・・10と数えるではありませんか。いつも浴槽では立つことしかしないのでひたすら湯をかけるだけだったのに。捕まえて一緒に湯につかり数を数えるのがやっとだったおばあちゃんはびっくりです。
 鬼のせいでしょうか。孫一がぐっと大人になった気がしました。あまり怖い思いをさせるのはトラウマになると心配する向きもあるかもしれませんが。トラウマは命の危険にさらされるときの恐怖の体験が引き起こすもの。節分の鬼の怖さにくらべたら比べものにならない体験の結果です。
 昔の人は鬼を使って恐怖を擬人化してきました。鬼のお面をとったらいつもの保父さんやお父さん 鬼は退散してゆき後に残ったお豆さん。泣いても隠れるところ、守ってくれる人がある。しかし節分は2歳の孫一にとっては最初の「怖~い」体験になったようです。なんとかその「怖~い」という感情を自分の中で消化しようとしたのでしょう。鬼の真似をしてみたりもらった鬼のお面を投げつけたりして帰ってきてから鬼退治にいそしんでいる姿は真剣そのもの。ひとしきり鬼退治をしてから夕食・お風呂へ 彼の気持ちはしだいに力強くなっていったのだと思います。今晩の入浴だけでなく続くといいな。ねっ 孫一!
 
 
 

冬の贅沢 桂離宮

 
回遊の始まり 松琴亭
広大な回遊式庭園に点在する茶室、どっしり構える書院、その空間で見上げる空は今も昔も同じかと思うと宮家の人々と肩を並べたような気分になります。四季折々に用意された茶室から楽しむ風流と交流を楽しむことを許されたごくわずかな人たちの生活を垣間見る思いがしました。
回遊の終わり 御殿 中書院・古書院
日本家屋の空間の心地よさや意匠へのこだわりに驚き、しばし時間のたつのを忘れてしまいます。いや時間を忘れさすことを桂離宮の建設はめざしていたかもしれません。それほどこの主たちは現実から逃避したかったのではないかと穿った見方をしたくもなりますが。自分の好みにあった気持ちの良いものや相性のよい人だけに囲まれて過ごしたい。その思いは今も昔も変わらない人の思いです。自分の好みがはっきりしているほど強く求めたくなるものです。こだわりは自分の好みに気づいたときや強い印象の体験で生まれてくるものではないでしょうか。下世話な話 お金があればできるというものでもないように思わせてくれる桂離宮の佇まいです。参観したグループには外国の方も交じっていました。今、離宮は一般参観のほかは外国の高官や要人への日本文化紹介のおもてなしに利用されることが多いと説明を受けました。外国の人たちは桂離宮から何を感じて帰っていくのでしょう。
 17世紀の皇室の趣味を大切に保存してきた背景には残さずにいられない美意識の表現があります。結局のところ残るもの、残されるのは「美」なのでしょうね。桂離宮の「美」は「時間」。四季移ろいを水面に移すことで「時間」「時」を流れとして表現したように思います。その時の流れを演出する仕掛けのこだわりが桂離宮に保存されているようです。我が家にもそのこだわりを持ち帰えれないかしら。古書院や茶室のような空間がなくても季節を楽しむ気持ちがあり、一緒に楽しんでくれる人がいればできるような気がします。
行の石畳

草の石畳

真の石畳

   華道・茶道・庭園・俳諧の表現方法の3体、格式ある表現を「真」、自由闊達に格式に
 とらわれない表現を「草」、その中間を「行」 桂離宮の回遊式庭園のスタートは「行」に始まり
 「真」に終わりました。庭園はすべて飛び石を踏んで廻るというもの歩くときは足元ばかりに目がいき止まって初めて眼前の広がりに驚きが感じられるという仕掛け?でしょうか。普段足元に目が向かずつまずくことの多くなった私にはちょうどよい歩き方でした。寒さ真っ只の中 ミスター宮内庁さんのご案内もご苦労さまでした。



孫美!誕生 

同じ日 孫一のところではクロアゲハが羽化しました。    次女の出産で 大阪にきています。生後まだ10日。右も左もわからないのは、若い親たちも同じです。「意外とわかってるな」と30数年前の記憶と孫一の時の記憶をたぐりながらおばあちゃんは、がんばって「子育て支援」の一端を担っていま...