2014年5月23日金曜日

きゅうりのキューちゃん ・とまとん ・なすピー

 今夏の駐車場ガーデンのラインアップです。
 親戚のヒロミチ師匠がプランターの苗を運んでくださいました。昨年のテーマは「食べる」だったのでひたすら収穫して食べました。
今年は「育てる」がテーマです。すでに師匠により元肥・追肥もすみ順調に育っています。
 私の仕事は水遣り 竿を継ぎ足し枝ぶりをそろえ実が大きくなるのを助けます。トマトの花にはトマトトーンというホルモン剤も噴霧します。
 気温が安定してきているこの時期は成長も早いとのことです。きゅうりは早速収穫 長さ20cm 周径10cmという代物です。採りたてはやはり甘くてみずみずしいです。トマトも青く実ってきています。赤くなるとカラスがきていたずらするそうなので赤くなりはじめのころに対策を立てなければなりません。近くに九品仏というお寺がありカラスのねぐらがあります。この時期子育てカラスを朝夕多く見かけます。プランターを置いた翌日にはそのそばに黒い羽根が落ちていました。
 秋まで 隣近所も含めて楽しめそうな駐車場になりました。

ワタシ「もうそんなに世話しなくてもよさそうね」
ヒロミチ師匠「なにをおっしゃる。よく観察してください。美味しい野菜は愛情が大切なんですよ」
        愛情とは観察することなんです。水のやりすぎは根腐れのもとです。世話のやりすぎ
        もよくありませんよ」
ワタシ「なるほど 師匠!!子育てと同じですねえ」
ヒロミチ師匠「??? 話が飛ぶねえ」


クジラは見ていた。

 
上野の国立科学博物館の特別展と企画展をみに上野にいってきました。
  上野公園内は深い緑に包まれて国立博物館前の噴水の白い水柱が映えます。         いいね!!連発
 国立博物館の右手に控える科学博物館の正面出入り口は立ち入り禁止 新しい入口から入ります。新旧合体の建物はいいのか悪いのか?中は迷路も迷路 どこが新しく古いのやら・・・
 記憶に残るシロナガスクジラがいました。これだけでも科学博物館は面白いですが・・


特別展は「医は仁術 」 解剖図や精巧な模型 医術の道具に目を奪われ仁術がぼけちゃった感じです。しかし解剖図が圧巻です。見ているものがご遺体であることに変わりないのに文化の背景が違うと線のなす印象は違って見えます。日本の解剖図はやけに生々しさが印象に残りました。
解剖にあったった杉田玄白らの心意気もさることながら 絵師の集中力と緊張感がそれ以上に伝わってきます。眼前に繰り広げられる状況に興奮する自分を抑えて筆をとる。レオナルド・ダビンチの醒めて静謐な解剖図の印象にもまさる解剖図の数々です。ダビンチとは違う暖かな血の匂いがしました。ダビンチが人間の機能的な形態に強い関心を示しているのに比べて内臓系の模写が多いように思いました。五臓六腑に強い関心があったのでしょうか。江戸時代の絵師になった気分で人間の体を観察する体験ができました。
 
 江戸時代という鎖国の状態は国民が生活や健康、長寿に目を向ける時間をつくったと説明にありました。本草綱目など薬草栽培や漢方・養生訓が庶民の生活に根ずきました。小石川養生所を中心に医術が一般の人に提供される場ができ人を労わり助け合う文化が育ったと解説がありました。「医は仁術」をテーマに江戸から現代までの医学の先端技術を紹介した展示です。展示から「仁術」を伝えるのは難しいと思いましたが「助けたい 救いたい 癒したい」という気持ちだけでは身体を襲う病気はどうにもならない理由が少し理解できたような気がします。踏みとどまって目の前の現実をしっかり見極めようとする目をもたなければと思います。今も昔もそういう人たちの努力があっての医学ですねえ。それが仁術のような気がします。
 

2014年5月7日水曜日

孫一 ぼくだって昇るぞ さあ鯉

sue's collection
 孫一 もうすぐ6か月 仰向けで手足をばたつかせる姿はまさに滝を昇らんとする鯉の勢いがあります。手足のバタバタに合わせて身体全体がくねくねするのがなんとも愛らしいお年頃です。興味を覚えると手を伸ばし引き寄せ口に運ぼうとします。口に届かないときは身体をふたつに折るようにして口に近づけます。一番のお気に入りはパパとおじいさんの人差指のようです。抱き上げると真っ先に抱いた手にかぶりついています。親指の第一関節がまだ上手に曲がらないので物をつかむことがすばやくできません。それでもほぼ手に入れているので大したものだと思います。
 この時期 巷では口唇期といってこれから半年ほど続きます。口唇期が子育てにとって特に大事な時期とされるのは母親との関係づくりの基礎になる時期だからといわれます。離乳食も始まります。乳歯の準備もできていきます。動きも大きくなってきます。確かに孫一の成長ぶりには目を見張るものがあり力強さを感じるおばあちゃんです。どのくらい集中してお乳をあげていたのか、見守っていたのか舐めたり口にもってゆくのを嫌がったのかということも忘却のかなたなのですが・・・。

浜名湖畔 親を見守る孫一


一説によればこの時期に過剰な可愛がり方やその反対に見放してしまうといった親の行動と思春期の神経症的な傾向に陥る場合の関係が深いといわれます。孫一はおっぱいから離れはじめマゴマゴしはじめました。マゴマゴしている人を強引にひっぱりまわすよりマゴマゴを暖かく見守り外にでる勇気と元気を育てる心の余裕が親には必要になるのでしょう。一緒にマゴマゴ、オロオロしないことです。長女・長男がとかく神経症的な傾向に陥るような気がします。どちらも初心者マークで「しなければならない」圧力が増長してしまうのです。孫一のパパもママも内心ハラハラしているのだろうけどで~んと構えています。おばあちゃんだけが絨毯の端を舐めつくす孫一にがまんできません。そういえばおばあちゃんは長女でした。

東海道 53次のうち31次まで

東海道本線からみる景色

 今年の連休は奥浜名湖横山で過ごすことになりました。私は横浜から東海道本線でのんびりゆくことにしました。東海道本線を掛川で乗り換え天浜線を使って約6時間の旅となりました。
学生時代はよく熱海までこの東海道本線を使って来たことが思い出されます。連休ですが東海道本線はほとんど軽装の旅人、中高年ハイキング組 若手学生集団、言わずと知れたチープ大好きカップルです。ニュースになるような混雑はなく最初から最後まで腰かけることができました。新幹線は快適すぎて寝てしまうことが多いのです。クッションのせいでしょうか。今回の道中は 熱海・掛川と適当に乗り換えがあり気分転換にもなりシートの堅さが通勤バージョンで一冊本が読めました。
 天浜線は1時間に一本 ゆっくり東海道を豊橋に向かって天竜川を超え奥浜名湖を回ってゆきます。一両編成ののどかな路線です。東海版あまちゃんの世界です。乗客も鉄道マニアが三分の一
天浜線 遠江一宮あたりの茶畑


あとはジモピー(地元の人たち)です。東海道線といい天浜線といい東名高速や新幹線の目に慣れてしまった私にはとても新鮮な視野が展開しました。列車のスピードはシャッターを押しても景色が流れない程度 東海道線は富士の裾野をなでるように進み富士の高嶺がゆっくりじっくり拝めます。これが今年の休暇の一大収穫のひとつでした。
東海道53次のうち掛川宿が26番目 ここから東海道は海岸線に入り袋井・見付・浜松・舞阪・新居・白須賀宿で湖西市を通り 二川・吉田宿の豊橋市に入ります。東海道と切れるのかなと思ったら天浜線の気賀駅には気賀関所があり姫様道中のお祭りもあるとか。姫は姫の道をゆくということでしょうか

天浜線 三ヶ日あたりの浜
天浜線の駅
天浜線の駅は全線にわたり国の登録有形文化財駅舎に登録されています。どの駅も映画の一シーンになりそうな昭和の匂いがします。線路はどちらをみても新緑に消えてゆき映画「小さな恋のメロディー」のラストシーンの主人公の二人が現れそうな景色でした。
電車を待ちながら映画の主人公を気取る還暦おばさんは私だけではありませんでした。あしからず!
・・・「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」の映画でもよかった。浜名湖がロケ地になっています。どっちかというとこっちかな。昨今は「女はつらいよ」だものね。

2014年4月22日火曜日

下ノ畑二居リマス。おやつはいつものところだよ。

花巻農業高校敷地内の宮澤賢治像と羅須地人協会の家


新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変えよ

春と修羅 第4集 生徒諸君に寄せる から

羅須地人協会の家の教室
宮澤賢治は大正10年 25歳のときから大正15年 30歳まで花巻農業高校につとめました。30歳のとき依願退職して花巻川口町下根子の実家内別宅で羅須地人協会を設立し、農業芸術運動ともいうべき活動を始めます。元祖文理融合推進派なのです。農業に科学と芸術の融合をみていたのでしょうか。
 現在この家が農業高校敷地に移築されています。家の中に入ると木造家屋の強い匂いが戦前日本の生活にタイムスリップするのを助けます。2階に妹トシが臥せっていました。賢治はここで自炊し 賢治に共感する若い人たちと暖を取りながら交流を楽しみました。

      羅須地人は宮澤賢治の造語 地人は農民を指すようですがきっと土・大地とともに生きる人すべてを意味しているように思います。羅須についてはいくつもの説があるようです。 決め手はなく賢治も取り立てて説明していないようです。
 この板書はただ自分の居場所を教える伝言だけでなくその言葉には「おやつがあるよ」というという意味を含んでいるというエピソードがあることを知りました。「いるよ」でなく「居ります」という襟をたださせるような言葉遣いと合わせ宮澤賢治がいつまでも愛される才能と人柄を持ち合わせた人だったことを思わせるエピソードです。
 明治29年から昭和8年の37年間は日露戦争・第1次世界大戦、世界恐慌・米騒動・関東大震災東北の凶作、冷害が度重なります。賢治が生まれた明治29年の明治三陸大地震・津波そして亡くなる昭和8年の昭和三陸大地震・津波賢治は2つの大地震の間を生き抜きました。賢治の感受性は大地と宇宙と交流し続けざるをえなかったでしょう。
 盛岡・花巻を旅行してイーハトーブ(岩手)の自然は人格を感じさせるものがありました。突き放すようなあっけらかんとした大地と北上川、岩手山と周囲の山々は厳しさと輝きを同時に放っていました。また訪れてみたい土地・人宮澤賢治です。

 
    

どんと晴れ! 老兵 ここにあり

小岩井牧場の一本桜と岩手山
もうすぐ桜咲く
今年はウソの被害はなさそう


岩手山

そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひしめく微塵の深みの底に
きたなくしろく澱むもの
                    春と修羅 第1集 明治22年6月27日

小岩井牧場入り口付近 桜並木の古木
こちらも桜のつぼみがふくらんで古木もほんのりピンク


小岩井牧場 パート3から

生な松の丸太がいっぱいにつまれ
            (陽がいつかこっそりおりていて
             あたらしいテレピン油の蒸気圧)
1台だけがあるいている
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめった黒い腐植質と
石竹いろの花のかけら
さくらの並樹になったのだ
こんなしずかなめまぐるしさ






2014年4月18日金曜日

苦境でわかる私の限界

朝のニュースでボストンマラソンのテロ事件から1年の町の様子やテロには負けないという市民の意気込みを伝えていました。「苦境でわかった私の限界」はそのニュースの中で爆破により足を切断しリハビリに取り組む女性の発言でした。その女性は理不尽な被害にあったこと、足の切断という現実を人生の途上で抱えることになりました。その瞬間まで誰がそのことを予測することができたでしょう。それを思うと明日は我が身と思わざるをえません。
 私も60年の人生で何度も自分では苦境と思う状況を経験してきました。彼女のいうように確かにそのときに思わぬ知恵を発揮することができ出会いを得ることができたように思います。だから彼女の言葉が痛いほど心に残りました。もう一人被害にあい苦しい1年を過ごした女性は
「私にはこんなに力があったのだという知ることができた」と言っていました。なんと前向きな人たちでしょう。それだけに彼女たちの身に降りかかった理不尽さや痛みが想像されます。
 このニュースは力強く復活したボストンの様子を伝えるものでした。いまだ打ちひしがれて生活を立て直せない人たちは山ほどいるでしょう。ニュースは1面にすぎません。が苦境が人にいろいろなことを考える機会をつくりその人の人生を深めたことは確かのようです。苦境に立たされたことのない人はひとりもいないでしょう。テロや戦争のない社会をめざしつつも巻きこまれてゆく現代です。そのときになってみなければわかりませんがもし生き永らえることができたら「私」も彼女たちのように振り返えることのできる人間であってほしいと願います。 しかし どうかな? このヤモリのように尻尾をつままれて遠くに飛ばされてしまったら・・・。飛んでゆくヤモリは何を考えるのでしょう。「ヒエー」 か「鳥になったか?」「人間ども!!」 3択とすれば今の私は「鳥になったか?」と思うでしょうね。ここが対岸の火と思っているお人よしのお人よしたるところです。「人間ども!!」と思うのが当たり前の感情でしょう。
そこで人間に一矢を報うことができても解決できない問題が自分に残る。それが苦境です。苦境は自分という戦場かもしれません。お人よしには戦場が見えないでしょうね。戦場が見えないと生き残ることも難しいというものです。

2014年4月13日日曜日

いないいないばばあ ・・? おっと いないいないばあ!


いない・いない・バンブー
いないいないばあ いないいないばあ で孫一が笑うようになりました。 生後5か月。お母さんとお父さんの顔はわかっているようですね。ときたまご機嫌伺いのおばあちゃんのいないいないばあに、いまひとつのりの悪かった孫一が今回はしっかり笑いました。手で隠した顔がいないいないばあといって顔をだしたときのはっとした表情はこれまでにない感情の表れのようです。知的とでもいいましょうか 好奇心とでもいいましょうか 雨後の竹の子のような力強い表情です。
 いないいないばあの写真を探しているときに昨年の竹の子採りの写真を見つけました。春先の竹林で竹の子を見つけたときの「しめた」という感じに似てるような気がします。 採集民族の血が騒ぐという感じ 狩猟民族の血でもいいですね。孫一もそんな血が騒ぐようになってきたのでしょうか。確かに手に触ったものをつかんだり離したりするだけでなく、口にもっていくようにもなりました。つかむ力も強くなりました。ベッドサイドには、小さなぬいぐるみが10個ほど洗濯ばさみにつるされています。孫一はこれをよく見ていますが最近は手を伸ばすようになりました。ある日この小さなぬいぐるみたちはすべてベッドに落とされているという事件がありました。もちろん孫一の仕業です。
みた!つかんだ!とった! トラ・トラ・トラ 孫一戦闘態勢に入ります。おばあちゃんだって 「いないいないばばあ」などとは言わせないぞ。






デイ・サービス みっちゃん


横浜 山手111館のテーブルデスプレイ
日曜日に二人の老婦人をお招きして我が家でランチをしました。お二人とも母の友達です。3人の合計年齢は233歳になります。 母の一周忌も終わり気持ちにけじめもついたころです。お二人にとっても母とは同年齢でお互いの健康を気遣う間柄でしたのでさみしさもひとしおのことと思われました。お一人はご主人を亡くして一年 もうお一方は独身を通された方です。共通項は母と茶道というところでしょうか。それぞれが母を通して知り合いました。この日は牛肉たっぷりすきやきと私のつくった春野菜の含め煮ですませました。「お醤油とお酒、みりんとお砂糖、お水で割り下をたっぷり作っておくといいのよ」と母と同じように私を諭した後、お話の弾むこと弾むこと お一人は耳が遠くなられてから外出も億劫になってしまったといわれましたがご自分のこと、母のこと、茶道のお稽古このことをよく話されました。もう一人の老婦人もはっきりしたもの言いが潔く、滑舌もすばらしいので耳が遠くなられた方にとってもよくお話が聞こえていたのでしょう。お食事をしながら2時間楽しくすごすことができました。人生80を過ぎるとご自分の人生を振り返り言葉にしておきたくなるお気持ちが伝わってきます。お話をしながらご自分の終活の思いを語られるお二人に清々しさがありました。きっとよい人生の閉じ方をされるのではないでしょうか。頼もしく感じました。お二人ともお互いの人生に興味を持たれたことがお話を深いものにしていました。なぜ結婚に踏み切らなかったか。連れ合いがなくなってからの生活をどう楽しもうとされているか、茶道やお稽古事になんど助けられてきたことか。などなど私の話など木端微塵のごとく消えてしまいます。自慢話でも悲観的なお話でもお説教でもないほどよい加減のお話のお出来になるお二人です。母が亡くなってしまい身近に年長の身内が少ない私には貴重な存在です。私の知らない母もあり70代 80代の生き方ヒント集のような2時間でした。またこんな機会を作ってみましょう。ちょっとしたデイ・サービス気分ですが・・・サービスを受けたのは私のような・・・
 いろいろな社会的なサービスが増え利用者もサービスを選択できる時代になってはきましたが身近にできるサービスにもっと頭を使ってもいいのではないでしょうか。60代はそんな頭の使い方をしてみたいと思いました。

参上!ギャートルズ

ギャー
孫一 4ヶ月 ギャーギャーも近頃はバラエティーにとんできました。日本ではギャーギャーは泣き声と言いますが婿のアメリカでは叫び声と言います。泣き声と叫び声ではだいぶニュアンスが違いますね。日本人はウェットな精神構造だといわれています。ギャーギャーは「泣いている」と聞こえ可哀想という感情を引き起こして強く抱きしめる行動に親が出がちになります。
 同じ状況でギャーギャーの声が叫び声に聞こえると「どうしたの?」と近寄るか「何!!」という危機感をあおられたりします。泣き声にしても叫び声にしても親の感情はぐっと引き寄せられますが目の前の赤ちゃんに対しての構えには違いがでるように思うのです。この構えの違いが子供の育ち方にも大きく影響している思います。自分は親から「かわいそうに」と思われて近づかれてこられたか「なんだ?なんだ?」と好奇心の塊になって見つめられていたか。どちらがどうということはありませんが「なんだ?なんだ?」と赤ちゃんと一緒に同じ方向を見るという気持ちも成長には必要な関わり方に思います。どちらの眼差しに偏ることなく見つめられたら赤ちゃんものびのびと育ってゆくように思います。若い親は抱きしめたくなるような気持ちと何だろう?という気持ちに翻弄されながら赤ちゃんと一緒に人への距離感を育ててゆくのですね。
とるぞ
「かわいい」も「可哀想」と同じように相手に強く向かってゆく眼差しです。おばあちゃんは「かわいい」に偏りますよ。だって「なんだ? なんだ?」はだいたい答えに検討がついてしまいますもの。
 自分の子供特に長女のときは何もかもが初めてで子供がとんでもない生き物のように思えていました。今でも子供たちは「なんだ?なんだ?」の世界ですが。孫は違う。「かわいい かわいい」です。
 といっても孫は孫 自分の子供ではないので娘の遺伝子、婿の遺伝子、社会の荒波でどんなふうに展開するのか未知数ではあります。「かわいい」「かわいい」ばかりでなく「フォローミー」のように後ろからついてゆく眼差しもおばあちゃんには欠かせません。そういえばギャートルズはいつも草原をみんなで列を作って走り回っていましたね。もうすぐ孫一の後をお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさんが追いかけまわる日も近いでしょう。追いかけまわせるほどの草原が身近にあるといいのになあ。

はじめ人間ギャートルズ
 歌詞 園山俊二
 作曲 かまやつひろし
http://www.uta-net.com/movie/39513/


2014年3月31日月曜日

桜でゴメン 消費税

千鳥ヶ淵公園 夜桜
今年の桜 東京は28日開花宣言 29日には満開 30日春の嵐 そして今晩 千鳥ヶ淵公園で夜桜見物
  お花見は毎年繰り返される光景ですが人も花も年輪を重ね気分がリセットされるような気持ちになる風物詩のひとつです。
  年の始めは1月ですがいろいろな活動は4月に始まるのが日本では倣いになっています。
4月スタートは将来もそうでしょうか。温暖化も手伝って春秋のニュアンスのある季節が短く感じられるこのごろです。
 退職して家の事をするようになると年度末 年度始めのなんともいえないわくわくする気分のやり場に困りました。年度末の締めくくるわずらわしさもなく年度初めの新人との出会いに彩られることもなく日々がすぎてゆきます。 年度に縛られない自由さを感じながらやや寂しい気持ちもありという日々です。

  母は姑から家計簿の付け方を教わり亡くなる年の春まで50年近く続けてきました。晩年は計算が合わず何度も繰り返したり私と記帳を分担したこともありました。手元にあるノートは20冊以上になりました。主婦の年度始めは1月でした。大晦日は正月の準備のあと大掃除、家計簿を締めて 年越し蕎麦で1年が終わります。ノートを見ていると堅実な家庭の姿が見えてきます。残念ながら共働きの私にはこの姿は伝わっていません。20年後の私は自分の財産を管理する力持ち合わせているでしょうか。家計簿はパソコンアプリに変わり計算も電卓を使うことが当たり前になって暗算することがなくなりました。消費税8% の計算も暗算するにはめんどうです。これで自分のお財布の中味を大切にできるのでしょうか。と不安がよぎります。母にとっては家計簿は物価の値上がりを肌で感じ、倹約の工夫を自然に身に着けるための教科書だったようです。
満開の桜は年度初めの緊張感を一瞬忘れさせてしまう威力があります。だから4月なの消費税? 夜桜に繰り出す人たちに交じりながら束の間気晴らしを楽しみました。

孫美!誕生 

同じ日 孫一のところではクロアゲハが羽化しました。    次女の出産で 大阪にきています。生後まだ10日。右も左もわからないのは、若い親たちも同じです。「意外とわかってるな」と30数年前の記憶と孫一の時の記憶をたぐりながらおばあちゃんは、がんばって「子育て支援」の一端を担っていま...