2014年3月15日土曜日

大須でシャムロック


シャムロック・大須商店街を練り歩く
先頭は St.Patric
シャムロックは アイルランドの国花です。三つ葉のクローバーです。アイルランドの人たちはアイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリックを称えて命日にあたる3月17日にパレードをして盛大に祝います。アイルランド移民の多いアメリカやオーストラリアでも同じようにパレードが行われています。ここ日本でもアイリッシュ・ネットワーク・ジャパンという団体が中心になって全国で計画しています。名古屋では大須商店街です。 セント・パトリックに扮した長身のアイルランド人を先頭にバグパイプの一団 大須商店街関係者の緑色のキャップが続きます。緑色の物をつけるだけで誰でも参加できる平和なパレードです。春の気配が感じられる昼下がりの商店街をのんびりゆっくり隊列が練り歩きました。両側のお店の見物をしながらのパレード。緑色のリボン、Tシャツ、旗、帽子、チョーカー、マフラー、ジャケットで商店街が包まれます。アイルランド出身の方々だけでなくいろいろなお国の方も集まってきて隊列が膨らみました。普段でも多国籍な大須ですがこの日はヨーロッパテイストな大須になりました。商店街の中を練り歩くパレードの規模は大きくありませんが商店街と一体化してしまったようなパレードでした。商店街のおばちゃん・おじちゃんが異国の人たちの緑に染まった姿を暖かく見守っているのが印象的でした。
 冬が長ければ長いほど厳しければ厳しいほど春の気配は待ち遠しいものです。セント・パトリックはきっと厳しい冬のアイルランドの人たちにとって雪解けの春に相応しい存在だったのでしょう。友達からのハガキでのお誘いでアイルランド繋がりの5人が久しぶりに再会できました。何かいいことありそうな春です。
大須観音前に集合 いざ!

メメント・盛

 母の1周忌 親族で墓参りと会食をしました。 
私は墓参り大好きです。 彼岸とお盆の墓参りを欠かさなかった父母に連れられて毎年墓参りをしてきたからか、永井荷風が正岡子規や芥川龍之介の墓参りをかかさなかったことにに触発されているのかお墓まいりがなぜか好きです。お墓の集まる墓地もいいなと思います。特に多磨墓地はその下に4万の遺骨が眠っているかと思うとぞくぞくします。言い知れぬ静かさに包まれる墓地と心の中のなにかが触れ合うからでしょうか。墓石や墓所のもつムードもあります。遺骨となっても残るものがいかに大きいか墓地はそのことを教えているように思うのです。
 母が亡くなって一年 父が亡くなってもう13年 亡くなってから気づくこともまた多いものです。父の仕事ぶり、家族との繋がり、戦争のこと、父の青春や価値観など残されたものを手掛かりにいろいろ想像をめぐらすのは今となっては楽しい時間です。家があり遺品があるからできる道楽かもしれません。
 母はまだ新鮮なので 箪笥、食器棚、机、鏡台などの抽斗をあけるとまだ母の匂いがあり「なにやっているの?」ときれいにならんだハンカチが見つめています。ギョ ギョ
多磨墓地 梅原龍三郎氏墓
いづれ 母の記憶も忘却のかなたに消えてしまうのでしょうがそれまでは楽しもうと思います。そういう気持ちにやっと1年かけてなってきました。親とはいくら大人になっても一心胴体のようなきってもきれない臍のような繋がりかたを感じるものなのですね。
 子供は遺骨になってから母親・父親という役割から離れて一人の人間としての魅力を発見する機会に恵まれるように思います。
 私還暦 いい年齢になりました。まずは私が育つまで健康で生きていてくれた両親に感謝です。自分の経験も生かして両親の生きてきた時代を考える時間もまだあります。
 自分のお墓のことを考えるのもいいことだと思いますが しばし親の死に向き合う静かさが生活の中にあってもいいでしょう。

 メメント・モリは memento mori  ラテン語で「自分が(いつか)死ぬことを忘れるな」という意味の警句 ここでは 「モリ」を「盛」にしてみました。
「死は盛だくさんの人生の受け皿」の意味を「盛」に重ねてみたのですが どうでしょう?
 

2014年3月11日火曜日

孫一 空を飛ぶ

 孫一 4か月 今は仰向けで寝ているよりこうしてうつ伏せの姿勢の方が元気です。首がすわり音のする方 おっぱいのある方に自分で頭が動かせるようになったのもつかの間 背筋をピンと伸ばす勢いで頭を後ろに倒してきます。こうして空中に持ち上げるとご機嫌で手は堅くこぶしを握っていますが足をばたばたしてなかなか泣きません。やっぱり男の子です。下ろそうとすると泣くので父は仕方なく「takai/takai?!?!」をしつづけます。父にしかできない仕事なのでちょっと父は鼻が高いですね。こうして父親らしく 男の子らしくなってゆくような気がします。がんばれ父 腰痛持ちのばあさんとしては自分の頭より高く持ち上げられて喜ぶ孫の顔見たさにいったりきたりしています。
 ばたばたする足をみていると背中も足と同じようにくねくね。地上に下ろしたらトカゲのように匍匐前進するかのようです。そういえば入浴のときもばたばた 足は泳いでいます。足が動いているときは手の方がおろそかになるようで こちらはこぶしを握りつぱなしです。いずればらばらに動かせるようになるのでしょう。手はじめに空中で父の髪の毛をひっつかむわけですね。孫一は 4か月で8kgという リトルジャイアン 父の腕はいつまで支えられるでしょうか。次にどんな親子の空中わざが飛び出すか楽しみです。

2014年3月3日月曜日

どっこい コミュニティ

 
 婿が通い始めた教会で演奏をするというので孫と娘と出かけました。キリスト教の教会で アメリカ人の二人の青年神父が聖書からのメッセージをわかりやすいプレゼンテーションと通訳で伝えジャンベ・ギター・キーボードの伴奏で何曲かの歌を歌い、最後にお祈りをして終わります。集会室のロビーにはドーナッツとコーヒーが用意され和気あいあいとしてリラックスした雰囲気です。周囲はアメリカ人、フランス人、アフリカ人、日本人の家族など40人ほど映画の一シーンに紛れ込んでしまったような錯覚を覚えました。婿は日本に来て半年 生活にも馴染んできているようにみえます。
  
 教会では同じような国際結婚の家族も何組か来ていました。子供たちもいます。自然に輪ができます。異国にあっても神様を求めて自然に集まり生活の基盤を作ってゆく力が宗教にはあるのだなあと思いました。この日のお話はコミュニティについて聖書から10のルールを引用していました。お互いに思いやりをもって接し、間違ったことは諌めあい、悪口を言わないなどということです。特別なことではありませんがいろいろな国の人が共感してうなずきあう姿がよかったですね。 
 
 たくさんの外国人の中の一人の日本人、たくさんの日本人の中の一人の外国人、たくさんの男性の中の一人の女性、たくさんの女性の中の一人の男性、たくさんの車いす利用者の中の一人の歩行者、たくさんの歩行者の中のひとりの車いす利用者と同じように婿と私の立場が逆転する一日になりました。ホームの私、アウェイの私。どちらも私ですね。自分が頑なになってきたなと思うときに新しいコミュニティーに身をおいてみると「違いのわかる私」を発見できるかも・・
 





2014年3月2日日曜日

ミドリムシ  クッキー 見っけ!!


  ミドリムシとの再会です。ミドリムシとの出会いは50年前の小学生の理科の時間顕微鏡の中でした。その頃の小学生が好きな授業は音楽・体育・図工です。座って本を読んだり考えたりするより身体を動かす方が好きです。子供だから当たり前ですが。理科の時間も先生は苦労されていました。観察と採集の時間はお散歩 実験ではアイスクリームづくりとフナの解剖など手を変え品をかえて身体を使って楽しませてもらいました。顕微鏡は高学年になってからでした。虫眼鏡と違って大人の雰囲気、先生の白衣と理科室はなにやら謎めいていましたね。
 ミドリムシは顕微鏡の中で長いひげをゆらし透明な身体は複雑でくねくね動いておりました。ミジンコかミドリムシか 小学生の目になんとも可愛らしく映ったのは間違いありません。
 そのミドリムシがユーグレナ・クッキーとなって今目の前にそれも5個で500円    じぇじぇ
これをブログに載せずしてなんとしよう。
 
  ユーグレナとは ミドリムシのことをいいます。ミドリムシは光と水の二酸化炭素があれば育ち人間の必要な栄養素を豊富に備えているそうです。そのため将来の食料・エネルギー問題解決に役立つというのが製造に携わっている企業のねらうところのようです。 
インターネットの情報によればこの会社はミドリムシを中心に微細藻類の研究開発、生産、品質管理、販売を手掛けています。この会社の経営理念は 「人と地球を健康にする」 企業ビジョンは「バイオテクノロジーで昨日の不可能を今日可能にする」 スローガン「ミドリムシが地球を救う」従業員39人 しかし上場企業です。なにか熱い思いを感じるサイトでした。

 ミドリムシはクッキーに身をかえても光の影響を受けやすいのか包装紙はなんとアルミ箔?味は う~ん 藻! バターの香ばしいクッキーに慣れてしまった私には草の香り 風の香り 土の香りでした。 新鮮!!といえば新鮮!昔懐かしい原っぱを思い出しました。このユーグレナクッキーを東大赤門(本郷3丁目)入ってすぐのショップで見つけました。東大アントレプレナープラザです。聞きなれないアントレプレナーという言葉を調べてみると起業家という意味がありました。ユーグレナクッキーの説明にも同大学の大学院農学生命科学研究科研究室の協力とあります。なるほど 原っぱの味はアカデミックな味でもあったわけです。
 思いがけないミドリムシとの再会が思いがけない企業との出会いにつながりました。ときどき株式など見ながらミドリムシの行方を追ってゆこうと光合成に疎い私は思っています。

2014年2月26日水曜日

梅といえば 湯島 湯島といえば 受験生



友達と湯島天神の梅を見にゆきました。5ー6分咲きでした。境内は平日にもかかわらず私たちと同世代の中高年で満開! 1日でも早く春を感じたい気持ちが伝わってきます。
 この季節 湯島天神は学業成就祈願の若者にとってのパワースポットでもあります。たくさんの絵馬が合格祈願の大きな字に飾られて山のようにかかっていました。
 そういえば私も40年前には、一受験生 努力が足りなかったのでしょうか最後は神だのみの気持ちになったのを思い出しました。

 受験生 頑張れ!思わずエールを!!!

女坂 梅5分咲きの色っぽさ
今は受験だけでなく自分の力を試すチャンスはいくらでもあります。恵まれた時代になりました。昔もいろいろあったのでしょうが箱入り娘には見合い結婚か大学かの2者択一
しか考えられませんでしたね。
 人生の一つの岐路にこれしかないと自分を追い詰めて力を発揮させようとするのもひとつの考え方ですが・・「人生運動会じゃないし」と私は思うのです。
おサルのひろしは絶好調

ブランド大学の大学生であることより自分で決めることができ決めたことに責任がもてる人の方が社会や世界では役にたつでしょう。捨てる神あれば拾う神ありという経験を山ほどしてくると合格祈願の絵馬が1000あれば1000の人生に見えて微笑ましくなります。どうか自分で決めた道に全力を尽くしてその結果如何にかかわらず結果は自分の責任と受け止めていきましょう。これからの人生1点に泣き、1点に助けられるということはよくあることです。天神様のおサルも応援しています。


2014年2月22日土曜日

男ありて

 今日は雛人形をだして飾りました。母の手作りの木目込み7段飾りという代物です。毎年出してあげないとお蔵の中から声が聞こえてきそうです。2月11日ごろに出して約1か月 家の中に早めの春を運んできます。私の娘が1歳の節句に完成しました。それ以来 30数年毎年我が家を賑わしてくれています。出し入れは殆ど私の仕事ですが・・・・。いくつになっても女の子らしいやさしい気持ちで準備後片付けができる行事です。仕事に外に出かけていた頃も土日に集中する家事の合間をぬっては組立式の階段や雛の並び方に苦心してきました。今はたっぷり時間があります。「あれ こんなお顔していったけ」と発見があり楽しい時間です。

 女といえば男 図書館で澤地久枝さんの「男ありて 志村喬伝」を借りてきていました。女・女してくるとなんかピシッとしたものに触れたくなるものです。山村聰と志村喬は和服姿が父と重なるので私にはなんとなく親近感がもてる役者さんです。山村聰も志村喬は明治の生まれです。

 澤地久枝さんの著作は取材が優れていて細部のエピソードのリアルさでぐっとくることがあります。今回は寡黙な志村夫妻の往復書簡が素晴らしかった。私の父たちの世代の夫唱婦随の姿が彷彿と湧き上がってくるようです。共働きの背景にある男女同権・男女平等の潮流の下にも流れているかもしれない細やかな交流が読み取れます。
 
往復書簡から (志村喬 32歳 政子 24歳の結婚前の秋)

 政子あて
  お手紙有がと、私こそご無沙汰して申し訳ありません。忙しいので遂。それに性来の筆不精とで、悪しからず。
 時にご相談ですが、家を越そうと思いますがどうです。貴女が今の家がよければそれでいいですが、水道、ガスがないし女の人にはちと淋しすぎるからどうかと思っております。実は今日は久しぶりの休みだし、これから貸家さがしに歩いてみようかなと思います。
 日活入社のときに撮った写真、焼増をしましたから送ります。ご笑納ください。では今日はこれで。皆様に宜しく
   廿二日
 



 志村喬出演の映画をYOU TUBEで検索してみました。「獣の宿」と「ドレイ工場」です。どれも戦前・戦後の日本の社会を映して余りあるものです。こんなに男性が元気で闘争本能丸出しの時代があったのかびっくり 昨今の中東の暴動のシーンに似ています。アメリカの戦後統治から抜け出そうとしていた人たちの思いが映画に凝縮されているように思いました。

 朝の掃除に始まり雛飾り 「男ありて 志村喬伝」の読書と映画鑑賞 一日の終わりは真央ちゃんのフィギア・フリーでした。男も女も輝く世界であってほしいです。どちらかの性が縁の下の力持ちの役割をおしつけられているのではない社会です。
 志村喬・スペンサートレシー・ジャンギャバンは物語や映画の主人公ではないがしっかり光を放つ存在感をもつ役者です。そこに魅力を感じることができると映画も2倍楽しめますね。ちなみに 「獣の宿」の主人公 若き日の鶴田浩二はどこか瑛太に似ていました。こういうところはおばさんですが・・。映画のように物語の筋や役割がはっきりしているわけでないのが日々の生活です。いつ だれが主人公、脇役に回るかわかりません。日々のこころがけがものをいうのでしょう。志村喬にならいひっそり光ることができるようにしたいものです。
 


 
 

2014年2月18日火曜日

お•も•て•な•しを超えて・・・ 草津編

妹と二人 草津温泉を楽しみに行きました。ハトバスのパックツアーです。朝7:30新宿出発 草津まじかの浅間酒造で試飲を楽しみました。このときにバスはチェーン装着して 予定通り到着でき
ました。雪景色にのなか 犬のように温泉を駆け回り お肌ピカピカで夕食
湯もみと落語を楽しむ
其の間雪は止むことなくしずかに積もってゆきました。海外旅行のツアーコンダクターの仕事をしてきた妹はなにやらソワソワ 臨戦態勢に入っている様子です。そんな妹を横目でみながら湯畑の夜景プラス雪景色 落語など 温泉情緒を満喫しましたが 翌朝 妹の予感的中 ホテルロビーは帰りの情報を求めて人が溢れていました。私たちの出発は午後3:00まだ時間はあるとはいえ草津に入る道路はすでに交通止め 温泉街も夜通しの除雪にかかわらず歩道は腰までの高さに雪が積もっています。それでも昼には町の人たちや除雪車 町の下を流れる温泉のお陰で道筋がみえてきました。雪の中フロントに荷物を預けハトバスからの連絡を待って近くの外湯で時間つぶしをすることにしました。草津でもこれだけの雪は珍しいとのこと、次第にただならぬ周囲の雰囲気です。
時々ホテル内も停電 、コンビニの商品も品薄ぎみになってきました。
ホテルからの湯畑
ツアコンの妹の指示で一泊車中泊を考えて 非常食用にカロリーメイトやチョコレート 、せんべい 、ティッシュなどを購入しました。  外湯施設の利用者はさすがに少なく独り占め状態でしたが露天は水温下がったり 落雪の危険のため入浴禁止 です。店は早目の店じまいか臨時休業 ホテルに帰り朝から待機している人たちに交ってハトバスからの連絡を待ちました。結局 ハトバスは群馬県内で草津交通止め解除を待つということで今夜の宿泊手配をしてもらいホテルの同じ部屋に宿泊 夕食 朝食も確保できました。明日ハトバスに乗って草津をでるまで予断は許せませんがまずは一安心 ひと風呂です。
 海外ではこういう場合 バス会社は宿泊の手配をしないようです。災害天災は免責という契約でそれは日本も同じ
積雪の様子
今回私たちが苦労せずチェックアウト午後に再度チェックインできたのはバス会社の日本らしいおもてなしスピリットのお陰のようです。海外だったら明日どこどこにバスが来ます。という連絡だけもらい客はロビーで待機しつづけるか自力で宿泊施設を確保するのです。室内の掃除なしで割り引いてもらい
昼の炊き出しもありました。こういうところの日本らしいきめ細かいサービスに感心しきりの妹です。海外旅行で痛い目を見ていない私には当然とうつるのですが。妹の海外の話をきいて改めて日本のおもてなしスピリットに感謝しました。
 とはいうものの明日帰して!!!

ps: このブログを書いてからこのホテルに2泊しました。それでもバスが迎えに来れない状況となりホテル側がチャーターした現地バスで高崎にでて新幹線で帰ることになりました。はとバス担当者にホテルフロントとやり取りしてもらいましたので身体的にも精神的にも助かりました。
 いまだ孤立状況にある皆さんの事を思うと一日でも早く雪解けになるよう願うばかりです。





2014年2月9日日曜日

生後3か月 甘やかしてナンボですわ

我が家に生後3ヶ月の赤ちゃんがいます。通称孫一( まごいち)  体格のいい男の子です。今年は私にとってはおばあちゃんデビューの年でもあるのです。
  二人の娘を産んで育ててきたのにその記憶がないのです。夫もそのようです。共働きだったからでしょうか?振り返ってみると自分のことでいっぱいいっぱいだったのでしょう。
  しかし 経験者は強い!いざ子守りになると思い出すわ思い出すわ 。いい加減な子守り唄までも  素晴らしい!このいい加減さがきっと娘たちにも伝わってしまっているのだ とはっとさせられます。
背中に物を言わせる孫一
  孫一は最初 泣いているか寝ているかの生活でした。そのうち目がみえてくるのでしょうか目をあけて見つめるようになりました。そうなると俄然母親父親 その他もろもろが思いっきり顔を近づけて我先にとアピールしますね。
  「孫一が笑った」といって大騒ぎになりましたが最初の頃は笑うというより顔が引きつっているといるような表情でした。歯がないことも笑顔に貢献しています。この頃気持ちよさそうに笑う。気持ち悪い感じのときは泣く、お腹すいてくると泣く、眠くなると泣くなど表情も豊かになってきました。ついつい顔を見ている時間も長くなります。
 抱くことでわかる赤ちゃんの体の様子があります。 ふにゃふにゃしている感じから力の入る様子など抱いているとわかる赤ちゃんの気持ちです。
 抱き癖がつくと心配する向きもありますが抱いてあげることが成長の大事な栄養でないかと実感します。抱いて育つ時期があるのでしょう。
 世界の赤ちゃんには「抱かれず」「見つめられず」育つ子も決して少なくありません。その子たちが少しでも暖かいぬくもりを感じる時間がもてるよう祈るばかりです。
 



2014年2月7日金曜日

東京気質(えどっこかたぎ)

 東京気質の神髄は「見栄っ張り」でしょう。形に始まり形に終わる。一見中身なんてありません。
かっこがよければ かっこがつけばいいのです。形がとれないことへの恥の文化
花火だす
勢いよく書いてしまいましたが 名古屋に30年以上住み母の介護で東京に戻るようになって5年、名古屋東京の文化の違いを感じる今日この頃です。

 「○○のおまんじゅう」「○○のおべんとう」「○○のお椀」・・・というこだわりも東京には多いですねえ。これは職人の多かった江戸の人たちが職人の技芸を大切にした名残と聞いています。「職人がひと肌ぬいで貢献する」ということに意気を感じる文化がありました。

 江戸も3代住めば江戸っ子といいます。私も3代目 父の父は新潟長岡からの大正時代に上京してきました。その頃の東京の人口は約220万人。 今は約1330万人と言われています。東京は地方に出自をもつ人の多い土地柄かもしれません。横浜出身の母の実家は56代目が継いでいます。

 何がいいたいかというと 形を大切にする文化は多様な人たちが助け合って生活する知恵のひとつじゃないかと思うからです。形やきまりを守ることでお互いの距離感を適度に保っていられるということです。しかし形にこだわり始めるとあいさつやもてなし、行事や祭式などいろいろな決まり事がやたらと多くなります。きまりきまりを作っていつかきまりがないと生活出来なくなってしまっています。何か一大事が起きたときそれで大丈夫かしら????

 富士山が爆発したり直下型地震に見舞われたら 何を一番大事にするかしら、どんな行動に出られるかしら、きまりを破って行動する勇気があるかしら?そんなときまで「見栄はっちゃう」ような気がします。「見栄はって」生き延びることができればいいですが・・・

 きまりを破るためには本質がわかってないとできません。やみくもにきまりを破れるのは若いうち分別がでてくると上手にきまりから逃げ出して息抜きしたりもするものです。東京の人口は高齢化に大きく傾てきているといわれます。きまりを上手にかいくぐってしまう気質ばかりが残ることなく 人のためにひと肌ぬぐ昔ながらの江戸っ子気質も残っていってほしいですねえ。

ジョン・レノン フォウ・エバー

 最近はCDケースを開けて音楽を聞くという機会が少なくなりました。インターネットの環境を利用しようとすればCDを買わなくてもたいていの物は聞けるようになってしまいました。
 CDケースを片付けていたらジョン・レノン アコースティックというCDジャケットが目につきその古めかしさに惹かれてちょっとかけてみようという気持ちになりました。
JOHN LENNON ACOUSTIC 東芝EMI2004
私はビートルズ世代に遅れをとった世代になるので全盛期には巻き込まれませんでした。ビートルズというよりジョン・レノンであったりマッカートニーであったり、ジョージハリスンであったりとそれぞれが独立して活動を始める頃からそれぞれの音楽に魅力を感じるようになってきたしだいです。
 ジョンレノンの休業宣言の頃 私は結婚しました。主夫業に専念するといって音楽活動をほんとに休止してしまったレノンがすご~く素敵でした。というよりオノ・ヨーコがよかったのです。私自身は甘ったれの部類ですから家事をすることに????? どうして夫は家事ができないの? 仕事は外でするもの月給こそ生活の基盤という男女分業の歴史に大きな疑問を持ちはじめた頃の出来事でもありました。レノンが家事・子育て? これは何か私の知らない魅力が家事や子育てにあるのかもしれない。と家事・子育てを見直す気持ちにもなりましたが音楽活動復帰を目前にレノンは死んでしまいます。唯一レノンの休業・育休中の生活はCD「ダブル・ファンタジー」偲ぶしかありません。 子育て・家事の世界の魅力に気が付くこともなく私はサラリーマン生活をめざすことになるのですが 今のように退職して自由時間が多くなってみるとサラリーマン生活から解放され休業に入ったレノンの戸惑いもわかるような気がします。
 「ウォッチング ザ ホウィール」という曲の歌詞の中に「僕はただここに座って車輪を廻しているだけ ただ転がるのを見るのが好きなんだ」というのがあります。いろいろな役割から解放されるとそういう時間に恵まれる。自分が回るのではなくて回っているのを見つめてみたい。
 音楽活動に復活したら休業中に感じ見つめた事を歌にしてくれたろうに・・と思うと残念ですが
レノンが感じたことが何だったかを考える時間が今の私にはありそうです。

 
 
 

孫美!誕生 

同じ日 孫一のところではクロアゲハが羽化しました。    次女の出産で 大阪にきています。生後まだ10日。右も左もわからないのは、若い親たちも同じです。「意外とわかってるな」と30数年前の記憶と孫一の時の記憶をたぐりながらおばあちゃんは、がんばって「子育て支援」の一端を担っていま...