2013年12月15日日曜日

椿カット 槿カット

すっきり背丈をそろえました。
山茶花が終わると一斉に椿が咲き始めます。山茶花は花びらがハラハラと落ちるのに対して椿はポトリポトリと花が落ちます。今年の山茶花は強い北風のせいかあっという間に姿を消してしまいました。
 植木の職人さんには「背丈をそろえてくださいね」と
お願いしたところ「つぼみを残して枝も少し梳きましょう」
ということに 仕上がりは右のようになりました。
 BEFORE-AFTERの写真が紹介できるとよかったのですが椿らしさがでてよくなったのは間違いありません。椿の花の可憐さが引き立ち道行く人も目を留めるようになりました。
 椿の隣に槿(むくげ)の木がありますがこちらは根本から
バッサリ切られ見る影もなくなってしまいました。
多分 来夏にはそんな姿も思い出せないくらい枝が伸びて
くるでしょう。槿(むくげ)はそんな木のようです。
 それぞれの「・・・らしさ」を生かすには手入れと剪定が
必要ですねえ。あなた 剪定してますか?お手入れしても
剪定はなかなかできませんねえ。枝を切る。花・幹を生かすために犠牲になる枝に思いがいっちゃいますものね。
 この木 この花芽 この姿に何が必要がわかっているのが職人さんですね。
 


 

年末の剪定 門かぶりの松


 わが家私道を挟んで6軒の借家のうちの一軒でした。どの家の門にも門かぶりの松が植えてあったと聞いています。今松が残っているのは我が家だけとなりました。6件のうち母が嫁いできた頃からの住人は、3軒となりました。この地域は戦後疎開先からの転入者が多かったようです。実家は本郷から初台 戸塚と移り自由が丘に住んでいる姉の紹介でこの地に住み始めました。その頃はまだ周囲は畑、お寺と大きな農家が仕切っていました。
門の位置が変わり門かぶらない松
多摩田園都市計画は昭和28年に始まり今年で60年目になります。少なくともこの松は60年以上の年月を経てこの家を守っています。なぜか1年に一回一升瓶のお酒をお水の代わりに根本に流しています。だれもその理由はわかりません。今更やめるわけにいかず・・・今年も平和と安泰を祈って松にお酒を注ぎましょう。

門かぶり松の前で 昭和26年ごろ

2013年12月14日土曜日

花伝書 年来稽古条条(ねんらいけいこじょうじょう) 


  友達に誘われて伝統歌舞伎保存会の研修発表会を国立劇場まで見に行ってきました。
伝統歌舞伎保存会は昭和40年 に「歌舞伎」技芸の継承を目的として設立されました。ちょうど私が小学校から中学校へ成長する思春期にこの会も校倉づくりを模した国立劇場の開場に合わせて活動を始めたわけです。世襲中心の歌舞伎の世界で一般の若者も舞台を踏むチャンスができたといって歌舞伎愛好家の中で話題になっていたことが記憶に残っています。大学ならば社会人コースというところでしょうか。看板役者、座長の道ではありませんが歌舞伎の脇役として芝居の一端を担ってゆく人たちです。その方々がここぞとばかり腕を振るって主役級を務めます。最初ハラハラ
中盤 わくわくどっきりのいい舞台でした。








 さて芸能というものはおもしろいものだと今日は気持ちを新らたにしました。12代団十郎さんが「役者の家に生まれると匂い、臭さというものが自然につく」と話していらっしゃいました。野暮な観客の私にはこの臭さはかぎ分けられませんでしたが出演される役者さんたちの一生懸命さに
胸打たれるものがありました。花伝書では、20代から30代は時分の花 今の力に溺れず稽古を重ね真の花(まことのはな)をめざそうと諭しています。なるほど観客は若盛りと珍しさにとびつくものです。とはいっても襟にさした扇子ひとつ 手ぬぐいの所作ひとつ 背中や腰の線、目線と先輩の役者にかなうものではありません。違いをわかっていて静かに精進を見守る。なかなかいい観劇の楽しみ方だと思いました。
 考えてみれば 団十郎さん 菊五郎さん 辰之助さん 吉右衛門さん、仁左衛門さんたちの
時分の花を還暦世代は見てきているのです。その後の精進が今の歌舞伎を支えていること
を思うとわが身に振り返り20代30代の一生懸命さと初心を忘れず精進してきただろうかと
やや???
 時分の花のあとは やっぱり 真(まこと)の花が見てみたい まずは藤十郎さんかな

 真の花になり切れない私は20代、30代の娘たちの時分の花がまぶしくてしかたありません。
ときどき散らしてみたくなる (@_@)




2013年12月13日金曜日

絡む根の伸び行く先に冬の空

 

知多・師崎の海岸に漂着









今年もあとわずか 冬の寒空を見ながら夏に行った知多半島の砂浜を思い出しました。夏の昼下がり 遠浅になった海岸で潮干狩りをする人たちを眺めながら漂着した大きな大木の根を眺めておりました。大きな大木は長い年月風雨と海水にさらされて白く滑らかな肌を見せていました。地の底から見るような気持ちで太い根を見るとダイナミックな螺旋を描きながら根は幹になり枝になり葉になってゆくだろうという錯覚にとらわれます。
 細い根は太い根のどこからかはじまっているはずなのにいくらたどっても元の根にたどりつきません。まるで迷宮のように見る人の目を惑わします。根は幹を支えるように手を広げたように描かないとなにか不安定さを感じさせますが本当の根は目の前にあるようにのたうち絡み合って土や岩をぐっと抱え込んでいるのです。広がりながらも幹に栄養分を運ぶために求心力を発揮する。メカニックな構造物にはない命の姿を見るような体験でした。もう一度見たい姿ですが 満潮とともにまた海に流されて漂流を続けるのでしょう。

2013年11月4日月曜日

頭だけじゃないよ 身体だって心のうち

エコバック 空豆









 今日は友達と高齢者施設に美術ボランティアにいってきました。お題は「マイ エコバック」 「私 見学するつもりだったのに・・・・いつのまにかクレヨンを選んで描いて
もらった下絵に色を塗っている面白いわけでもないのに・・・ほっといてほしかったのに・・・・ 何もしないのはよくないから・・・って
いわれて車いすごといつも連れ出されるわ。こんな心の声が聞こえてきそうな表情の婦人を相手にエコバックづくりをしました。ときどき硬い表情が崩れて笑顔のように見えたのは私の勝手な思い込みでしょうか? それでもできました「マイ エコバック」仕上げはアイロンで定着 彼女も写真にマイエコバックと一緒に納まりました。
 楽しかったかしら??帰って行かれる後ろ姿に20年後の自分を重ねてみます。楽しくなくても
交流できることが生きていること。楽しみ方は人それぞれだし今楽しくなくても 動けば身体のどこかが楽しんでいるそれでいいのだ~。

 

2013年11月3日日曜日

皆で実れば怖くない!!

ピラカンサ 
          朝の散歩でピラカンサがたわわに実る木をいくつも見ます。
          この赤い実は一斉に赤くなるので見ていて楽しくなります。
          ヒヨドリは木を埋め尽くす赤い実に恐れをなしてしまうので
          しょうか。この木のまわりでヒヨドリの声に悩まされることは
          ありません。原産は中国 なるほど・・・・・!
          大陸的なダイナミックさと豊穣さが 侘び寂びの庭木と
          不釣り合いのように見えてそうではなく楽しませてくれます。
          「どうだ! 見たか蝶さん まってたほい」っていう感じかな
          たわわな実のひとつぶを見上げてみているとそんな声が
          聞こえてきます。
          

2013年11月1日金曜日

右向け右  休め!!



昼下がりのカンガルー やれやれ!!

       集中していること 張り切っていることはよきことで気晴らしや息抜きには
      意味がないようなムードが自分の中にありました。
      高度成長期に成人した私には「やすむな」という言葉が鐘の音のように
      聞こえていました。さすがに還暦ともなると身体と気持ちがギクシャクして
      軋み始めます。鐘の音は大きすぎて最近耳栓をするようにしています。
      そのせいか「休むこと」を覚えました。頭の中も身体も空っぽにするというのは
      固い私にはなかなかできませんが・・・この写真の姿は参考になります。


2013年10月30日水曜日

川は流れる

多摩川川岸 川崎方面をのぞむ

 今日は昨日とはうって変って秋晴れの朝 ウォーキングを初めて3日目
自宅ー多摩川の往復は約5000歩 ゆっくり1時間
今日の場合は約3.7㎞歩き消費カロリーは117kcalでした。
 アイフォンのアプリWalkerを歩数計と健康管理に使い始めました。
私の子供の頃は多摩川は公害で騒がれていて魚や野鳥を見る機会ありませんでした。
犬の散歩がせいぜいでした。今は水はきれいだし野鳥も多く、観察会もよく開かれて
います。
 河岸を歩いていると深呼吸をしたり鼻歌をうたってみたり突然駆け出したりします。
今日は水量が多くゆったり流れていました。気持ちいい~。
3日坊主になりませんように というところでしょうか


2013年10月29日火曜日

隅田川夏模様


 今日は朝から小雨模様 午後には本降りになって風邪をひきはじめた人には
辛いところです。写真の整理というのはこういう気分のときには丁度よさそう。
昔の記憶、去年の記憶ですっかり頭の中が入れ替わってしまいました。
 昨年盛夏の隅田川 対岸に輝かく金色のキリン本社ビルとうんこじゃなくてきんとん雲
手前の水上バス・ビルに映るスカイツリー 首都高速が邪魔!!
東京オリンピックの前にはこの隅田川の風景を誰が想像できたでしょう? 
この風景はあと何年みられるのでしょうか 7年後のオリンピックではこのあたり
どうなるのでしょう。隅田川は流れていると思いますが・・・・

2013年10月28日月曜日

文化祭だって!! 43年ぶりの母校

秋空に誘われて母校の文化祭に出かけました。
何か理由でもなければ出かけることはまずないイベントの一つです。
母校への愛着からは程遠い気持ちでいましたが還暦を機に同級生に
会う機会も多くなりました。実家のある東京と結婚生活をしてきた
名古屋を両方ともに拠点にしています。
 東京は 友達の輪というところでしょうか。
高校卒業以来とすれば42年ぶりになります。中高合同の文化祭に
同窓会ブースを出展するのが今日の理由
 学生たちの制服姿は42年前も同じ 制服の埃っぽい匂いが記憶の
底から湧き上がってきます。
 中学生の発表は元気があって可愛らしい。真面目な一生懸命さに
好感がもてます。私は高校では新聞部 今は新聞部は文芸部に様変わり
パソコン屈指したプレゼンや今どきの熱きダンスやミュージカル
歓声のあがる運動場での試合の数々・列のできる売店
と活気のみなぎる文化祭でした。
 懐かしい先生の姿が見えないのが残念!!
よく遊び物思いにふけり喧嘩もしたベランダは健在
 遠く多摩川が光っていました。何度も思い出そうとも
思い出せない思春期の思い出の数々 ただソコにいた
ということだけが実感として思い出せる不思議な時間を過ごしました。
通学路に色づく へくそかずら

東京タワーは強かった。


秋空に雄叫び 東京タワー



台風一過 秋空の一日 来日した婿を連れて東京タワーの観光をしました。
私は小学生の遠足以来の訪問 50年ぶりになるかも・・
一か月ほど前に部材落下の事故があって最上階の展望台まではのぼれませんでした。
50年ぶりに上る東京タワーはそれで十分です。周辺のビルや寺や公園が
等身大で迫ってきます。驚きの記憶は月日が経つほど肥大してくるようで
「東京タワーはもっと大きかった。もっと高いところに上った」と記憶を修正
するのにやっきになっている私です。東京タワーの回顧写真は白黒なのに
小学生の記憶は立派なカラー写真です。
 もちろん 婿は東京スカイツリーがよかったようで少々ご不満な様子では
ありました。誰でも新しいものは好きですものね。60年後スカイツリーも
また同じように愛着をもって見に来る人がいるでしょうね。でもきっと東京タワーの
ような手作り感ばんばんのひと肌のような東京タワーの匂いはないでしょう。
 大切にしたい東京のシンボルでした。青空がよく似合います。

秋のピーマン

今年2回目のピーマンの収穫です。
小ぶりで固めですが甘い。採りたては美味しく思えます。
去年、今年と親戚がプランターごと苗を届けてくれました。
トマト、ナス、そしてピーマン 土の色が違います。
この暑さでたかがプランターでも水遣りはたいへんでした。
いづれ家庭菜園をやってみたいという私の気持ちに応えて
「まずはプランターからやってみたら?」というわけ。
水やりと収穫 の楽しみをちょっと味合わせてもらいました。


ピーマンマン 知ってる?

2013年10月12日土曜日

ブログ再開・再会

 ブログをはじめたのが2011年11月 今2013年の10月私は誕生月の11月が近くなるとそわそわしてきます。何か目にみえない軌道をまわっているようにも思えるし脱皮する予感とでももうしましょうか。秋の気配がなんとも嬉しく感じられ何か変化の予感がするのです。脱皮というのも面白い体内感覚です。ちなみに私は蛇年です。この2年の間いろいろありました。ブログが更新できませんでした。パソコンに向かう生活のリズムが作れませんでしたので今回の再開では更新が続くような工夫をしてゆこうと思ってます。
 まずは先行投資でパソコンをリニューアルしました。真っ赤なLaVie(NEC)です。よきパートナーになってほしいわ。会いたくなるようなパートナーでないとね。今のところ起動も早くキー操作のレスポンスもいいです。
 この2年間の中で重要な出来事は東関東大震災と実母88歳の看取りでした。私還暦を迎える手前のこの2つの出来事は、これからの人生にとっては繰り返し振り変わらざるを得ないことのように思います。そんな思いもこのブログに書いてみましょう。 もう一つ ブログを書くことをダイジョウダンに構えない。その一言がブログ再開のきっかけになりました。同じことを言われたり読んだりしていましたが今だからふっと肩の荷を下ろすことができたように思います。ブログに再会できました。
 
myLaVieから転載 夕日? 朝日?

亀は見ていた

亀もいろいろあれど ミヒャエル・エンデ「モモ」の亀カシオペアをご存じですか 浦島太郎の竜宮城の亀・高砂に登場する亀は万年たしか太古の宇宙では地球は亀の背中に乗っていたような。という具合に亀は異次元世界と今を行き来する生物の代表格です。この写真の亀は買い物の途中の甕に生息している亀です。果たして異次元に私を誘ってくれるでしょうか。この甕の前を通るときは中の亀をのぞき挨拶することにしています。ときどき私の声が聞こえるのか首をもたげて私の方をみるような表情をしてくれるのがなんとも言えず魅力的です。この甕は歩道に面しておかれています。最近 近所に大きなスーパーが開店しました。甕の前を行きかう人も多くなりました。甕の中の亀は何をみているのでしょう。
 「おいおい そんなにゆっくり歩かれてはこまるな」という気持ちが全身から伝わってくるように歩く人。その前をひとりのお年寄りが杖をついて歩いてゆきます。お年寄りがスーパーに到着するまでに何人に追い抜かれたことでしょう。お年寄りは追い抜かれるたびにはっとして立ち止まります。きっと後ろからの勢いを感じて足がすくむのでしょう。でも狭い歩道ではどうしようもありません。人が最短距離を選ぶのは当然のことですが狭い歩道はお年寄りやベビーカーをひく人 ゆっくり歩きたい人に譲りましょうよ。「急がば廻れ」ということわざにもあるように気持ちに勢いのあるときは広い通りを選ぶようなゆとりがほしいもの。足の力が弱く、耳目もはっきりしなくなったお年寄りにくらべたら若い人には選択肢がたくさんあることを忘れてはいませんか。いつも通っている道だからという気持ちに流されていませんか。創造的な生活を望むなら惰性は禁物ですよ。


亀曰く「急がば廻れ そんなに急いでどこゆくの? 急いでいるときこそちょっと立ち止まって私をみてよ!!! 」
この亀はしばらく出家し帰還を果たしました。

水やり


 
 種をまくと水やりをしたくなる。というよりしなければならない。雨に任せておくわけにもいかない。やりすぎてもいけないしやらないのもいけない。難しい。家の中のもの外のものでは水やりの量が違う。「鉢植えのものは表面の土が乾いたら」とか「気温が下がってきたら水やりは控える」とか「暑い日中に水やりはしない」とか言われる。園芸家は育てる植物の顔色をうかがうようにして水やりをするのだろう。母はその点 園芸家というわけにはいかないようだ。同じように水やりをしてしまう。暑ければせっせと水やりをしたりもする。子供たちがあまり手伝わないのでというか愛情を寄せないとみたか水やりは自分の仕事と心得ているようだ。水やりをしながら母はに感情移入をしている。「おおきくなったね。」「花が咲きそうだね。」なかなかほほえましい。そのくせ害虫に対しては異様に攻撃的になる。虫も花も同じように思う私とは少し違う。母の水やりにはルールがあるようだ。窓際の花にはこのじょうろを使う。ベランダにはこのじょうろ水の量はこの鉢ではこのくらいというふうに だから母の替わりに水やりをするのはとても疲れるわけで花が枯れたりすれば水やりをルールどおりしなかったと手伝った者のせいにする。
高齢の母にとって水やりは大事な一日の始まりになっている。ルールができるまでには時間がかかる。花が咲き、終わるとい時間が必要だ。その時間があるから母のなかで決まりができてくるように思う。毎日同じ時間、同じ場所で水やりをすることで花や植物の変化に気がつくことができるようだ。其の変化が見られるから水やりに責任感を感じずにいれないのだろう。

土いじり

土いじりをする母の後姿をみていると原っぱで暗くなるまで遊んでいる頃を思い出す。母の背中が小さく見えるからだけではない。しゃがむ姿勢が懐かしいからだ。めったにしゃがんだりしなくなった。母 大正13年の鼠年だ。干支で歳を図ることも少なくなった。母たちくらいになると何歳?と尋ねるより干支で尋ねた方がはっきりすることがある。でも動物にたとえられるのはあまり気持ちのよいものではないかもしれない。
 母は庭にでて草木をさわるということが少なくなった。足腰が弱くなったせいもあり指に力が入らないという気持ちもてつだうのだろう。庭木の剪定や草むしり、虫取りはもっぱら娘どもの仕事になってきている。それでも庭木が気になるらしく見て回っては葉っぱをひろったりして過ごすこともある。母は自分から何かしてほしいと直接言わないところがある。なんとも歯がゆいが「花がないんじゃない?」という。それは花屋につれていってほしいということなのだがこういう言い方は母の性格なのだろうか。私には大正生まれの専業主婦の自己主張の方法のように思える。子供はそういう母親の言葉から深読みしなければならないわけである。花屋に連れてゆくと球根を買った。干からびたプランターの土をほぐし、陽に干して消毒しプランターに戻した。肥料もたして買ってきた球根を丁寧に埋めていた。半日仕事である。毎日芽がでるのを楽しみにしている様子がある。母の言葉についむっとなる気持ちもないではないがプランターの土に埋められた球根が芽がでてくるのを自分もどこかで楽しみにしている。水やりは母の仕事だ。忘れないでほしい。春はまだずっと先だから




本所界隈

京急本所吾妻橋の駅を出て後ろを振り返るとそこにウルトラマンのようにスカイツリ―がたっている。三つ目通りを木場方面に向かって歩いていると右手に寺がある。ここには奥ゆかしい言われがあり安政の大地震と関東大震災の2度にわたって枯れたにもかかわらず生き延びてきた井戸がある。三つ目通りも東西に走る**通りも意外に幅広い通りだ。
一本筋を入っても広い通りが続いている。江戸時代には大名の別宅が居並ぶ閑静な郊外の名残だろうか。本所中学を横目に高砂部屋まで歩いてゆく。周囲は低層鉄筋のビルが林立しているが家内工業であったり運送業や板金・革工芸の小さい工房であったりする。ビルの隙間をうめるように小さな焼き鳥屋が店を開いていたりする。歩道の両側に所せましと鉢物がならんでいる。昼下がりは静かだ。人通りも少ないがどこかのんびりした空気が漂っている。壁に貼られた祭りのちらしに並んで自衛隊や東日本大震災のボランティアの募集が貼られている。遠くで自転車にのったおばさんが私の方に向かって笑って会釈をしているのがみえた。どうも相手は私の後ろを歩いていた人だったようだ。あいさつとは不思議なものだ。見ず知らずの人であっても笑顔で頭を下げられるとなにか一瞬繋がりができたような錯覚に陥ってしまうからだ。あいさつの威力はたいしたものだ。私みたいなおっちょこちょいは「どこかで会った人かな」なんて首をかしげてしまったりする。もっと喧騒のある街ならそんなことも思わないだろうがこの町を歩いるとなぜか知り合いがいそうな気になる。この人のあいさつが私に威力を発揮したのはこの町の空気感のようなものに私が押されたからではないだろうか。目的地に向かって歩いてはいるけれど五感はいろいろなものを感じている。

吾妻橋付近の寺の庭

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...