2019年12月26日木曜日

リアル・サンタ



 クリスマス おめでとう。と孫一からカードとダイオウショウ(大王松)の大きな松ぼっくりでできたツリーのプレゼントが届きました。私も今年は孫一に手編みの帽子を作って贈りました。ママがサンタからのプレゼントだといって渡してくれたのですが・・
孫一曰く 「おばあちゃんとおじいちゃんからのプレゼントだね。ほんとのサンタは
いつくるの?」 だまされません。孫一6歳にとってサンタは、親でもなくおじいちゃん・おばあちゃんでもなく、保育園の先生でもない、未知との遭遇なのでしょう。それをわくわくしながら待っています。それで腑に落ちました。送られてきた写真の帽子をかぶった孫一の顔がなんとも納得のいかないというふうだったわけが。
 世界中の子供たちが等しくサンタの訪問に恵まれますように。
 

2019年12月23日月曜日

地球★爆

 今年の災害は、昨年にも増して広範で大きなものになりました。押し流される家、濁流や土砂くずれの映像がいつまでも心に残ります。災害だけではありません。あおり運転の事件に代表されるような自己中心的な出来事が耳目を集めました。内外の指導者が、「何をめざしているのか?」選んだ国民の目が点になってしまうような出来事もひとつやふたつどころではありませんでした。
 
愛知県美術館の11月の「地球★爆」展は、まさに地球の未来に警鐘をならすような展覧会だったと思います。10人の画家による大共作展とあるようにそれぞれの作家の感性を結集したものでした。会場は、大作で埋め尽くされましたが、黒と白で構成されているということもあって疲れることなく最後まで見ることができました。
 キーワードは「戦争」「反戦」「原爆」「破壊」「宇宙」「彼岸」というところでしょうか。重いテーマでしたが洗練された画面は、戦争を知らない世代にも受け入れやすかったようです。作品の前で立ち尽くしている中学生・高校生の一群を見ることができました。
 私的には、山口啓介さんの原爆下の子どもの表情をアップにした象徴的な作品、
清水洋子さんの「枯野ー舟歌」「地球探し、ガリレオ計画」「大暗黒」坪井美穂さんの「イムラム・航海譚 島めぐり」「黒い雨」が印象に残りました。
 芸術家は予知能力を発揮することのできる人種だと思う事があります。 2010年秋に三島の大岡信ことば館で開催された宇佐美圭司展の「大洪水へ」という作品が思い出されました。翌春の3.11東日本大震災。
 




 地球★爆展は、10人の作家が今感じている「戦争の足音」なのでしょうか。『戦争を知らない世代が、戦争に敏感になること』が反戦につながることを感じさせてくれました。
 県美術館のコレクション展の50点近いオットー・ディックスの版画(1924)は、戦時中の生死にかかわる場面を刻んでいました。1986年のクリストの包まれた旧ドイツ帝国国会議事堂、ベルリンのためのプロジェクトの素描は、強い反戦の意志を感じるものでした。
企画展とコレクション展を両方見て回るのは、結構疲れるものですが「戦争」に引きずられて見て回ってしまいました。私も「戦争」「地球★爆」に危機感をもっているかもしれません。
 今年はいろいろ鑑賞する機会に恵まれましたがこれからに繋がり、共感できたMY BEST企画展のひとつでした。来年は、爆はバクでも、人の悪夢を食べる獏に活躍してもらいたいものです。 
 

2019年12月16日月曜日

翻訳が世界をつなぐ。


 年の瀬も迫ってきている今日この頃、年賀状を前に思案の一時です。今年もいろいろありました。今年を振り返ると元号が変わった5月からの出来事が多く思い出されます。日本だけでなく世界も同様に異常気象に翻弄され、株価はジェットコースターのように乱高下し世界経済の先行きは、見通しがもてません。要になるべき大国諸氏の「私」ファーストで我も我もの勢いになってしまいました。
  38年ぶりの来日となった教皇フランシスコの「日本のおもてなしや優しさは、格別であることは称賛されるべきものだが。世界を見渡して御覧なさい。日本の人たちには、もっと手を差し伸べる勇気をもってほしい」というメッセージが胸に残ります。
 訳:大野光子・Beverley Curran  & 栩木伸明
佐々木幹朗 詩集
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小春日和の大学の階段教室で聴講させていただいたアイルランド文学者・翻訳家大野光子先生の「翻訳がつなぐアートの世界ー英文学を学ぶ楽しさー」。大学1年生に向けたわかりやすい英文学入門のお話しでした。外国語を学ぶことは、相手の国の文化を学ぶことであり、翻訳を通して様々な出会いを得ることができる。翻訳とはそういう協働の仕事でもあることをご自身の翻訳の経験から アイルランドの詩人・日本の詩人・研究者から翻訳の詩に触発された美術家・音楽家との出会いをお話しされました。
 アイルランドが詩や文学をはぐくむ文化であることを知るとともに日本にも詩・文学を愛する文化のあることを思い出しアイルランドに親近感をもつことができました。
 最後に先生が学生さんたちに「身近で優しい絵本でもいいですよ。外国のお友達を見つけて一緒に翻訳に挑戦してごらんなさい」と語りかけられた事が印象的でした。「はじめの一歩」は、人生経験豊かなシニアの後押しがあって実現するように思います。
 毎朝ニュース「世界の窓」ばかりみている私には、世界はばらばら、崩壊寸前のように思えて暗くなるばかり。聴講して思ったことは、『他国の人の詩を翻訳する。日本の詩を紹介する。その国の人との協働による翻訳の仕事のように価値観や文化的背景の理解を深める仕事は、ばらばらの世界に調和をもたらす手がかりになるに違いない』ということです。アフガニスタンの中村哲先生の実践は大きな犠牲を強いましたが、中村先生もまた日々文化や価値観の違いを大切に生きられていたことと思います。ご冥福を祈ります。
 新しい年は、勇気を出して他国の人とのきっかけを作れる年になるよう小さな努力をしようと思います。まずは英語かな?オリンピックもあるし。日本人お得意のおもてなし外交に終わらず、文化や価値観を認め合うホントの外交をしたいものです。

 

12月の紅葉狩り 世田谷区 旧小坂家緑地

有形文化財 旧小坂家緑地


 
旧小坂家緑地の一角に終戦まじかの都心から横山大観が疎開していた。



2019年11月17日日曜日

五穀豊穣の祭祀

 今年は、外憂さておきという感の日本の秋になりました。近場のお寺もいまだ紅葉せず暖かい小春日和が続いています。巷は台風の傷跡ナマナマしく、行方不明者の捜索が続いています。報道される社会面の事件は、あおり運転を始め脅しや恐喝、詐欺、強盗殺人、
子殺しばかりです。スポーツ選手の活躍が唯一の救いのような昼のテレビ番組です。ビジュアルの刺激が強すぎるのは、年齢のせいでしょうか。ラジオが優しく思えます。
 外憂さておきの日本、令和元年の天皇即位の催しものも大嘗祭でひと段落、天皇家の
皆さまも一息つかれていらっしゃることでしょう。大嘗祭で改めて天皇家が日本の国の成り立ちに果たしてきた役割を考える機会になりました。
 私としては五穀豊穣を祈る祭祀の継承者という線をこえないようにお願いしたいものです。だれに? もちろん政府の保守系の方々にお願いです。王室交流は別としてだれを国賓にするかの責任は、時の政府にあるのでしょうから、よく考えてください。桜を見る会にお招きするわけではないのです。
 そして日本人の信心は、神道ばかりでなく、仏教、キリスト教、・・といろいろで節操は、ないのです。天皇家は、戦争終結の段階で国の象徴となりました。神道の宗主に合わせて国の象徴の役割を担われたので、無理があります。無理を承知したのは国民です。
国民も国民の代表の政府も慎重に天皇家のお仕事を考えないと天皇家の存続は難しい時代に入るでしょう。「日本は平和で寛容な国、歴史を継承できる国である」という象徴を正倉院にある貴重な文物や祭祀の継承とともに天皇家の人たちに担っていただけることを願っています。

2019年11月8日金曜日

孫一 成長の秋 

 孫一もいよいよ6歳。保育園最後の秋を迎えます。台風の空模様を気にしながらの運動会、ハロウィン・お泊りと目白押しの秋。成長著しい孫一君。にーっと笑う笑顔には前歯がありません。遊び始めたら、広場を自転車で周回し、バスケのゴールポールを見つけるやサッカーボールを玉入れの要領で投げ入れ、まぐれで入るやブイサイン「どうだ!」。おばあちゃん思わずパチリ。飽きたかと思うと今度はおじいちゃんとフリスビー、
続けてプラスティックのバットでバッティング。おじいちゃんはへこたれませんが、来年は無理でしょう。おばあちゃんは、ついていけなくなりました。

            おばあちゃん表装掛け軸第1回作品 1年かかりました。孫一6歳の誕生日に
2字足りません。

               渋すぎるので おまけの一冊
孫一! 虫さんはかみつきませんよ。


 お誕生会で「孫一君は大きくなったら何になりたいですか?」  「王様!!」
「孫一、王様になって地球を守ってね。」と期待をかけるおばあちゃんに
小さくうなずく孫一君でした。
 

さざんか さざんか ~ ~


さざんか さざんか さいた道
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

巽聖歌 作詞
渡辺 茂 作曲
「たきび」2番


2019年11月6日水曜日

ながれゆくもののはやさや秋出水 久保田万太郎

台風15号 19号で被災されている皆さんが 一日も早く元の生活に戻れるよう祈るばかりです。
 今年の残暑は厳しいどころか大型の台風が次々と関東地方に上陸しました。今だ不明者の捜索が続き、被災地では、毎週ボランティアが入って瓦礫の後始末を手伝う姿がニュースで報じられています。近くの多摩川の河川敷も水をたっぷり被り、スポーツやバーべキュウを楽しむ人たちの姿は見えません。果樹園をもつ知人は、家族全員無事だったとはいえ今年の林檎の収穫はできません。
 11月になり、菊の花が今年も届けられやっと夏の終わりを感じたしだいです。

 
今回は、台風前日にベランダを片付けるだけに終わりましたが、停電になったら、電柱が倒れてきたら・・・、インフラが壊滅したら・・・と考えなければならないことがいっぱいあることに気づきました。東京都が配布している東京防災という黄色い表紙の本も知りました。いざとなったら何もできないことがわかりましたので日ごろできることをしようという気持ちになったところです。
 
  東京防災 https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1002147/index.html
 
 私の50代は親の介護と看取りに明け暮れ、60代はこどもたちの巣立ちに付き合う日々。
伊勢湾台風は、ともかく台風の被害にあわず阪神淡路や東関東大震災に巻き込まれることもなく過ごせてきたのは、幸いとしか言えません。どんな災害にいつ見舞われるかなどだれもわかりません。私の60代後半戦は、被災者・地を応援しながら身の回りをシンプルにできることはやっておこうということになりそうです。あまり時間のないような気がするは私だけでしょうか。
 自分が70代・80代で被災したら・・・何がしてほしいだろう。そんなこと満開を迎える菊を見ながら考えています。
 


2019年8月27日火曜日

日本の8月

熟したアバシゴーヤ(沖縄)
8月もあと一週間。8月は、なぜか日本人であることを強く意識する月のように思います。
 毎年、8月の始まりは、1日ではなく長崎、広島の原爆投下日だからです。私は、戦争を知らない世代ではあっても親の戦争の記憶をうっすらと感じながら育ち、中学・高校時代の反戦の授業は、記憶に残るものでした。
 今年印象に残るものは、NHKラジオの朗読の時間 菊池寛の「満鉄外史」全40回*15分、「平和式典の天皇のお言葉」、NHK・TVで放映された初代宮内庁長官 田島道治の昭和天皇「拝謁記」。そして8月下旬には、終戦まじかのミンドロ島に補充兵として従軍した作家大岡昇平「野火」を読みました。
 菊池寛は、異国の地で国益のため懸命に働く満州鉄道社員を敬意をこめて書きました。その後の満鉄の歴史を知る私には、草創期の気概というものが、一瞬であってその後は私利私欲、既得権益、パワーゲームになってしまうのだなあと思え、戦前のエリート日本男児の姿は虚勢を張っているように見えました。
 大岡昇平の「野火」は、戦場で追い詰められた日本男児が、日本という国と無縁の「人間」として生きていました。「日本」から開放され、生きのびることで精神を病んでしまう結末ですが、現地人と同胞の殺人、カニバリズムの選択を迫られた記憶を抹消しようとする主人公は、戦争を体験した世代だけでなく戦場に行かない、平和な生活を享受している私の中にもなにか居心地を悪くするものを感じさせました。
 日韓の歴史問題の両国の態度の違いが平行線をたどる中、NHKの天皇「拝謁記」は、
戦争責任を考えなおす手がかりになったと思います。天皇の「反省」という言葉は何を
意味していたのでしょうか。原爆の悲惨でしょうか、異国で国益のために一生をかけた
青年たちでしょうか。前線で作戦も武器もなく飢餓と恐怖と人間性を失うことと戦う兵士たちでしょうか。
 「拝謁記」の中で、「反省の言葉は、天皇の責任問題に火をつけてしまう。今はその時期でないので削除願いたい」という吉田首相の大いなる忖度の記述に、唖然としました。今も変わらぬ為政者の忖度体質。あの時、真摯に天皇が反省のお言葉を発していたら国民はどうしていたでしょうか。戦争のダメージからの復活はもっと時間がかかったかもしれませんが、虚勢を張らず、アジア文化圏らしい国造りも可能だったかもしれないと思うのです。
 それを選択しなかったので、日本に天皇家があるかぎり、戦争慰霊の旅を続けられるべきと思います。令和の天皇のお言葉にも「反省」の言葉があり、お父様からの意志が
伝わっていることが感じられほっとしました。安部さんは、もう忘れてしまいましたか?あえて言いいませんか。その心やいかに?

2019年8月19日月曜日

お盆に読む。「わたしは、マリモ」

 お盆に合わせてお墓参りに連れ出された孫一。自動車に自転車を積んでゆくことになりました。当然「雄羅野 ウータン」のぬいぐるみも一緒。広い墓地の一角をウータンを連れて自転車で乗り回した後、お墓の草取りとお掃除に参戦。おじいちゃんとお線香に火をつけるなど炎天下の中よく頑張りました。お参りも真似をして丁寧にお墓にお水をかけ、手を合わせてくれました。「はて これは何の儀式だろう?」 「墓石の下に何があるの?」怖がりの孫一にしては、死者・お化け、幽霊とお墓の関係は結びつかないようでした。
 そんな夜に素敵な絵本を読みました。「わたしは、マリモ」2019年3月 マリモでくしろをもりあげ隊発行 http://marimo946.com
 北海道阿寒湖にすむマリモのお話し、湖で暮らすマリモたちも風雪に耐えいつかおじいさんマリモが死んでゆきます。死んだおじいさんマリモは、たくさんの小さなマリモになって阿寒湖に生き続けるというお話し。死んで姿がなくなってもその子たちにつながってゆくイメージが伝わったようです。お墓の掃除をした孫一も、ぼんやりと死者との交流を感じたのでしょう。 おばあちゃんの読む日本語と英語の対訳を読むおばあちゃんのつたない発音を「しょうがないなあ」という表情ですなおに聞いていました。感想は「お話しが短い!」「続きはないの?」「マリモ見たいな。どこにいるの?」でした。
 そういえば孫一もまたおばあちゃんのお母さんが亡くなった年に生まれました。
孫一は英語を話さないくせによく聞いています、絵本の中の「splish,splash,splosh」「flash,rumble,boom!」など調子のよいところは、特にニコニコ。まあるいマリモの
表情もそれぞれで楽しめました。寝苦しい夜、孫一は、北海道の阿寒湖の湖の底に
遊ぶ夢をみていることでしょう。
 すでにipadで番組をチョイスし楽しむ5歳。読み聞かせの積み重ねは大きいものがあるといいます。環境に目を向けさせるテーマの絵本が増えてくるといいなあと思います。
孫一は、短いというけれど、おばあちゃんが読み聞かせるには、ちょうどよい量で、英語はリズムが良く読みやすい本でした。
 
 



2019年8月18日日曜日

台風上陸 孫一参上

雄羅野 ウータン
おじいちゃんに連れられて今年もやってきました孫一君
おりしも台風10号の日本接近中の日曜日。大きなぬいぐるみ
を抱え、リュックには回しゴマのベイブレードを詰め込んで
やってきました。恐る恐るの昨年に比べると今年は遊ぶ気
満々の孫一君。帽子も斜め横被りにこだわりを見せています。
 
このぬいぐるみのウータンはどこにゆくにも一緒です。「自転車のる?補助輪ついてるけど。」「それじゃおもしろくないよ。とって。」いきなりのリクエストにジジババあわてて補助輪をはずしました。さっそくウータンを前の籠に乗せて一回り。得意げに走り回る後ろ姿に1年の成長を感じずにはいれません。でもぬいぐるみ。というところが5歳でしょうか。   
           
バランスだあ!
もってきたベイブレードはさておき、まず目についたのがこのやじろべえい。すっかり気に入り「バランスだあ」「バランスだあ」といって大騒ぎ、トンボの羽はとれるわ、樫の実の腕は、ひんまがるわ。それでもバランスをとるやじろべえ。けなげとしかいいようがなくおばあちゃん、苦笑いの一幕でした。
 
 夜は、オセロ。昨年泣いたハスラーは、斜めどりに気配り、目配りできるハスラーに成長。しかしおばあちゃんも勝ったり、負けたりと手加減のスキルも上達。1勝1敗で事なきを得ました。


「おばあちゃんちのお手伝いは、お仕事だからお小遣いが
でます。ママのお手伝いは、お仕事ではなくお勉強だから
お小遣いはありません。」ということでお小遣いをためるため働いてもらいました。水やりと配膳やお掃除などです。そして手に入れたミニカー3台。毎朝 自転車にウータンを載せて近くのコンビニに買いに走りました。
ミツクリザメ ? シーラカンス
 今年の折り紙は 深海魚でした。結局作るのはおばあちゃん。それでも大事に箱に入れて持って帰ってくれました。よくできた折り紙です。去年は恐竜、今年は深海魚、来年は、宇宙人?


この箱には、マミー・ダディーへのお土産のクッキーが入っています。
粘土の型を使ってクッキーづくりをしました。バッターたっぷりです。
おかげで孫一入魂の型の跡形もないクッキーとなりました。おばあちゃん反省!!

孫一 置き土産








緑陰に遊ぶ 雲洞庵(新潟県南魚沼市)

大池

参道 大香炉付近

参道
本堂を飾る木彫

本堂
山門


謙信 直江兼続も見あげた空

2019年8月1日木曜日

夏を食す。冬瓜の冷汁

巻機山 山麓の夏
巻機山 山麓の夏
毎日の猛暑。朝のストレッチに水やりが加わり、つかのま、爽やかさを感じることができます。が庭も道路もあっという間にかんかんでり。50年前、夏休みの部活の頃は気温は、31度程度でニュースになっていたような記憶がありますから 35度~37度というのは
暑いはずですが、「ニューズで騒ぐほど暑いかな?」アブナイアブナイ。 若い人とは多少感覚にづれがきているのは、確かなので、ここは主観より客観的な数字を信じて注意しましょう。といいながら「どこまでエアコンを使わず耐えられるか」なんて今日も勝負にでるおばあちゃんです。

 冬瓜の冷汁 夕食で、煮た冬瓜に鳥ひきをいためて葛に絡めたものを食し、残った煮汁と冬瓜を冷蔵庫で冷やしてちょっと目先を変えて朝食で。いい感じです。朝から冷房をつけるのもよいが、夏の朝の暑さをじんわり感じながら扇風機の風の中、冷たいお汁を
すするのもいいじゃありませんか。写真満載の土井勝さんの料理本にはエビと土ショウガで煮た「冬瓜の吉野煮」がありました。レジェンド辰巳芳子さんの「スープのてほどき」では、腎機能を高める夏野菜で真っ先に取り上げられ「からだのほてりを鎮める冬瓜の葛ひき」と「冬瓜の甘酢づけ」が紹介されていました。冷酒やビールのお供に重宝しそうです。

 冬瓜は、夏の季語ではなく初秋の季語だそうで秋の歳時記には、こんな芭蕉の句がありました。
 
「冬瓜や たがいにかはる 顔の形(なり)」ふ~ん。
 
 猛暑に負けないぞ。とばかりに冬瓜を切って天日干しを今日の仕事にいたします。


2019年7月29日月曜日

シルバーシート

 健康寿命という言葉があります。 健康でいられる年齢は、女性が 75歳といわれています。あと10年ですが60代半ば、健康に陰りを感じる出来事がありました。
 親の見取りも一段落、職業生活の最前線からも離れ、いよいよ悠々自適とまでは、いかなくても自分の時間が増えつつある日々でしたが・・・・
これまでだましだましこらえていた痛みが爆発、変形性股関節症の診断を受けてしまいました。
 動かないわけにはいかない。まだ手術までには、いくつか段階があるだろうとは思いますがやっぱり診断されるのは、ショックです。悠々自適が憂憂自適になってしまいました。回遊魚のような生活から池の鯉のような生活に切り替えるには、どうしたらいいのでしょう。
 シルバーシートや杖が一気に身近に感じられ、瀬戸大也君や錦織君の太ももがやたらと
まぶしく映ります。「70まで働きましょう。」というスローガンは、遠くに見えます。
ついに自分の体に振り回されることになりましたが、これもまた経験と思い新鮮な気持ちで取り組んでみましょう。老いに向かう自分の体力・身体を知るよい機会になるかもしれません。






選挙か吉本か

葡萄畑では、古い木から新しい木まで多様な種類の木が実をみのらせます。 参議院選挙が終わり1週間。蓋を開けてみれば。投票率46%、前回を下回りました。
かろうじて過半数割れを救われた保守、にもかかわらず鬼の首でもとったように翌日には、「改憲議論を始めよう」と声を上げました。待ってましたか?安部さん。投票率の悪かったことの方に危機感を感じてもらいたいなあ。
 とはいうものの結果は、悲観すべきことばかりでなく 舩後 さんと木村さんの2人が当選を果たし参議院議員の多様化に一役買いました。国会は、このお二人の車椅子や働く環境整備を急ぎます。水掛け論に終始する議論に一石が投じられることを願います。社会の中で弱さを実感している人たちだけでなく世界中が注目していると思います。
 選挙結果の分析や解釈もそこそこにというように熱がさめ、吉本興業をめぐる報道がお昼の番組だけでなくあらゆる時間帯で取り上げらています。最初は、反社会勢力との繋がり云々だったのがいつのまにか興行主と芸人の契約関係のもつれにすり替えられてしまいました。
 若い世代は、選挙結果前日の京都アニメーションへ放火と被災した同世代アニメーターへの同情が渦巻いています。現場で涙する人たちの映像をみていると若い世代にとって夢や希望を与えてくれるのがアニメーションの世界なのだなあと思います。亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
  長い梅雨も今週は終わり、いきなりの夏日に面食らいながらネットサーフィンしているとアメリカの前大統領オバマさんのページを見つけました。7/17発信では、アフリカンアメリカンの若いリーダーの育成に携わっているオバマ氏のビデオとメッセージを見ることができました。
  日本国内でもこうした10、20年先を見据えた活動があることを期待して 暑い夏を乗り切ろう。

2019年7月2日火曜日

ヘリオトロープのような・・・

 庭先のヘリオトロープの花が満開になりました。先日の音楽会はこの花の色と香りがぴったりです。演奏は、左手のピアニスト「館野泉」さん。前半は吉松隆さん、月足さおりさん、梶谷修さん、光永浩一郎さん作曲のピアノソロ。どの曲も詩情豊かで情景が浮かぶようです。演奏家館野さんの奥深さが伝わる素敵な演奏でした。後半はヴァイオリニスト館野ヤンネさんとのデュオ。塚本一実さん作曲「PUNEUMA」からと久保禎さん作曲今回初演となる「5つの風景画」から”串木野さのさ”、”鹿児島ハンヤ節による”の2曲。
 演奏は、弾きなれたコルトレーン・ピアソラに及び息子さんと息のあったところを楽しむことができました。最後は、「母に捧げる子守唄」という曲を
ピアノソロで。なんか泣けてしまいました。
 館野さんは、フィンランド・ポーランド・日本の交流100年記念行事で演奏会がフィンランドで予定されており、その出発前の一日がこの音楽会とのことでした。
館野泉さんの演奏の力強さと色彩を感じるようなピアノの音色に何も考えず時間を過ごす
楽しさを久しぶりに味合いました。鍵盤から指が離れてからの余韻に力を感じることができました。聴衆は50人ほど。グロトリアンという日本に3台のピアノのうちの一台が置かれている室内は、演奏者の表情も息使いも動きも身近に感じられる緊張感が心地よく感じられました。ホールを主宰されている方の音楽を愛されている気持ちが伝わります。作曲家と演奏家の関係が垣間見られる楽しい懇親会も手作りでした。演奏の熱気を分かち合った懇親会は、渡航前の館野さんのお餞別になったのではないでしょうか。
なぜ「館野泉」?
 私が「館野泉」さんというピアニストを知ったのは、ご病気で倒れられ、ピアニストとして再起を果たされたきっかけを何かの記事で読んだことだったと思います。
「両手がだめでも左手がある」と気づかれたときの気持ちが心に残りました。いつか演奏を聴いてみたいと思っていました。右手はどうしているだろうか?想像していたように右手も同じように演奏をしていました。私にはそのように聞こえました。私自身、長年片麻痺になられた方のリハビリの仕事に携わってきましたが、麻痺した手と麻痺のない手は、中枢でつながっているという思いはいつもありました。「あきらめないで」という気持ちで仕事をしています。館野泉さんの演奏は、その気持ちを応援してくれるものになりました。

*ヘリオトロープは花の名前です。太陽に向かうというギリシア語の意味をもつムラサキ科キダチルリソウの総称。ペルー原産 日本には、明治頃に伝わる。バニラのような甘い香りがあり天然香水として知られている。夏目漱石「三四郎」にも登場。

*月瀬ホール常設ピアノ グロトリアン コンサートロイヤル(2011年製)
グロトリアンは、クララ・シューマンが生涯愛したと伝えられています。ドイツのハンドメイドの名器です。響きは、歌うように艶やかで柔らかいと定評があります。

2019年6月17日月曜日

年金炎上

 完全退職から3か月。生活時間もおちついてきたところ。降って湧いたような年金話でニュース解説番組は、にぎやかです。多額の預金がないと老後の生活に不安どころか生活が成り立たないといわれていますが・・ アメリカ人の婿は、預金するということより人生いかに楽しくお金を稼ぎ、使うかというところにフォーカスしている
ように見えます。この話題はお国柄で片づけたくなります。
 退職してからの生活で一番の違いは、なにかというと自分のための時間が増えた
ことです。今までは、家事以外に1日8時間は仕事に費やしているわけで、仕事の内容
によっては8時間どころではなく1日中、いや年間とおして仕事に時間を占有されていました。 それが35年も続いたのだから大したものです。今振り出しに戻って家事や家族だけでなく自分のことに時間が使える幸せを感じています。ときどき35年間で経験できたこと学んだことも大きかったけれど、それと引き換えに家族の時間、自分の時間や問題を犠牲にしていたのでは?と思うこともあります。
 これからの若い人たちには、家族や自分の時間を犠牲にしないと仕事ができないという社会や「働くもの食うべからず」の価値観に押しつぶされないでほしいと思います。
「頑張ります」という言葉より「楽しみたい」という言葉がフィットするのも時流でしょうか。アスリートの人が「試合、ゲームを楽しみたい」とインタビューによく答えていますが自分だけが楽しむのではなく、周囲の人もその楽しみを味わえてこそ、ほんとの
楽しみではないでしょうかねえ。
 「お金がなければ生活できない」という価値観から「なければないなりにやる」知恵をもち、「お金がなくても楽しい生活はできる」という価値観をもっていれば、タンス預金にしがみつかなくてもよい社会になるのではないかと思っています。戦国の昔から埋蔵金を増やすのにフォーカスする遺伝子が今も生きているのかもしれないと思わせる政治家の発言の数々。
 私の幸せ、あなたの幸せ、それぞれ幸せは違うけれど、だれもが幸せを考える生活の基盤をつくるのが政治ではないのでしょうかねえ。税金をそのために配分しているのでしょうか。その方が心配です。


2019年6月10日月曜日

芒種 腐草為蛍



 6月7日 梅雨に入りました。旧暦では芒種といって田植えを始める時期になります。
紫陽花も満開。季節を72に分けると26候になり「腐草為蛍」腐った草が蛍に生まれ変わる季節ということになります。日本の四季を72にまで細分化して花鳥風月を楽しむ文化は
捨てがたいと思いますが、近年の梅雨は、しとしとどころか土砂降りの連続。
「どうして雨が降るの?」というレインコートを着た小さな子供のかわいい質問にお母さんの答えは「・・・・・・?」。答えてあげてよ!お母さん 

  
不忍池からスカイツリー

今年の梅雨 昨年のような災害をもたらさないよう願いたいものです。

2019年5月31日金曜日

サバンナ・テラス


 5月は改元行事の狂騒が落ち着く間もなく様々な痛ましい事件が続いてしまいました。
特に理不尽に命を絶たれてしまった幼児・児童の事件は痛ましく、手を合わせずにいられないものがあります。連日のニュースは、どのチャンネルも事件の現場の様子をナマナマしく伝えました。幼い命を失った家族のことを思うとテレビを消してしまうこともしばしばです。被害を受けた子どもと同世代の子、子を持つ親、交通事故を起こした同世代、引きこもりから大量殺人に至ったといわれている加害者、現場を目撃した人たちと様々な
気持ちがニュースを受ける側に襲いかかる5月でした。
サバンナ・テラスのシマウマ
 いったい何が起こっているのでしょうか。
感じやすい人は、こうした社会的な事件の影響を受けやすく、自分も当事者に共感したような気持ちになり不安定になる人もいます。
感じやすいとは言えない私も今月ばかりは、集中できない気持ちと悲哀に襲われました。
 たまたま約束していた友達と月末にズーラシア(よこはま動物園)で一日をすごしました。アフリカを想定したサバンナ・テラスで
シマウマやキリン、ライオンののびのびした姿を追ううちに気分が晴れて元気がでてきました。
 元気がでればこうした事件の事実や背景に目をむけることができるでしょう。大きな事故の背景には小さなケアレスミスの積み重ねがあるはずです。大きな犯罪の背景には、個人ではどうにもならない社会のひずみがあるはずです。
 改めて事故・事件で亡くなられた子供たちと青年のご冥福をお祈りします。また病院で
治療を受けている方々の一日も早い回復を願います。
 


2019年5月10日金曜日

令和の薔薇  港の見える丘公園


 神奈川近代文学館の「松本清張展」にゆきました。松本清張氏は明治42年に生まれ平成4年に亡くなるまで大正・昭和・平成にわたり執筆活動をした作家です。会場には大きくたっぷりした体格を示すような自筆の原稿が並びます。取材ノート、写真、愛用のペンや映画になった作品のポスターなど、作家の日常に触れる展示でした。「西郷札」にはじまり、評伝や生涯興味をもって取り組んだ森鴎外の著作や2.26事件、下山事件など社会問題をテーマにした作品。映画化、ドラマ化された「砂の器」「点と線」などのポスター。新聞連載の挿絵の数々。松本清張氏は推理作家としての代表作が多い作家ですが、作家の興味は単純な犯人捜しではなくもっと深い人間の性をテーマにしていたのだと改めて思いました。
 文学館の外は港の見える丘公園 今そのバラ園・イングリッシュガーデンが見頃です。
 平成から令和へ改元に合わせた10連休も終わり
日常が戻ってきた昼下がり。栗の花のむんむんする匂いの中薔薇の香を求めて散策をしている人たちも楽しそうに見えました。
 改元前後は、街はかなりのフィーバーぶりでした。日本人ってこんなに天皇家が好きだったんだなあとテレビ番組を見て思いました。バラエティーだけでなくニュースや特別番組までも改元・改元を連呼するばかりであまり印象に残る番組がなかったのが残念です。
 その中で一般参賀での雅子皇后さまの「覚悟の笑顔」が清々しく映りました。
 平成から令和に積み残された問題はたくさんあります。外国人労働者の問題、貧困、人口減少、就労困難、少子高齢化、地域・健康格差、災害支援など「象徴」としての天皇家の役割も戦争犠牲者の慰霊、被災者の慰問だけにとどまらないことでしょう。
 こうしたテーマをもっとマスメディアが率先して取り上げることがあってもいいのではないでしょうか。
「なんか変わらないなあ」と思うのは私だけでしょうか。
 毎日休日の我世代の10連休は、公立保育園の休みに伴い保育要員として大いに働かされたのではないでしょうか。デパートやコンビニは、いっせい休業とはいかずいろいろ工夫していました。おかげで日常に困ることはありませんでしたが・・・。10連休まるまる楽しめた人たちは、どういう人たちだったのでしょう?
ちょっと気になるおばさんでした。
 

早春の妙高




妙高

連休前半の妙高高原は早春。静かな日本でした。

フキノトウ

フキノトウの天ぷら、こごみのお浸し、つくしの煮つけ、鳥の声
フキノトウの苦みは、アメリカ人の婿には??? これはわからないだろうな!

黒姫高原スキ―場でそり遊び 遠方に野尻湖
            ロングコースのそり遊びを満喫。雪がとければスキー場は
          畑に。東京では味わえない土の香りです。孫一絶好調!!




          おばあちゃんの歌う早春賦から婿のピアノで
             ビートルスメドレー 孫一乱舞!!

2019年5月8日水曜日

謡曲「経正」初舞台


日本刺繍に彩られた能装束
「風古木を吹けば、晴天の雨。月平沙を照らせば夏の夜の。霜の起居も安からで。仮に見えつる草の陰。露の身ながら消え残る。妄執の縁こそ。つたなけれ」

 琵琶の名手の平家の若武者が西海に一命を落とす.惜しんだ高僧の供養の琵琶の音に惹かれて冥途から立ち戻る若武者。もっと琵琶が弾きたかった!悔しい思いを舞い消えてゆく切ない物語が謡曲「経正」です。
 謡のお稽古では先生がワキを私がシテの「経正」の繰り返しの練習でした。発表会の当日、地謡の方々が後方に控えシテ・ワキを盛り立てます。地謡のシャワーを浴びてこんなにも能の世界が身近に感じられたことはありませんでした。
 客席は真っ暗で舞台から見えなかったこともありどっぷり声の世界につかったのがよかったのでしょうか。「言葉の意味はよくわからないが、何を言いたいかはよくわかった」という感想をもらうことができました。
 客席側とはちがい演じる側でライトを浴びた経験は、小学校の謝恩会の一人一芸(私は落語の寿限無をやりました。)以来、大人になって仕事で人前にたつ経験があるとは言え、感情を表現するというのは初めてでした。
 お稽古は、個々の役割の謡の形をきっちり学ぶというもの。人に言われたようになぞるなどもってのほかの年齢になりつつある身には、先生のだめだしが応えますが、すなおに聞いてよかった。きっちりできれば申し合わせで舞台は成立するということがよくわかりました。能はこうして650年の歴史を積み重ねてきているのですねえ。
形を踏襲することで「妄執の苦しみと癒し」を「経正」の言葉を借りて伝えてきているのです。すごいですねえ。



2019年5月7日火曜日

記憶は巡る


   六本木交差点から芋洗い坂の緩やかなカーブを道なりに下ってゆくと
 六本木中学校の桜の木が満開。その向かいのストライプハウスの大坪美穂さんの
 個展会場に入り、四方の壁の作品を見ながらゆっくり階下に下ってゆく。ここまで
 来て正面の大きな作品に出合う。大坪さんの大きな作品で印象的なのは、
 輝くような空気感。この前の個展の作品もそうでした。たぶん黒の線に苦労された
 のだと思う。描かれなかった空間から不思議な空気が伝わってきます、彼岸とでも
 いうのでしょうか。
  ここからまた作品を見ながら戻ると螺旋階段を上るような面白さがありました。
 会場の構造だけでなく、大坪さんの作品がそれぞれに表情を変えるからです。
 ブラックホールを彷彿させるような原点ともいえる作品群、年輪が
 消えてしまった木、インスタレーションは、?。そして鉛の作品。大坪さんの
 作品に横たわる痛みは、静かです。でも深い。
  大坪さんは、表現することを生業にして過去・現在・未来を自由に行き来している。
 作品を見る楽しみは、自分が経験したことのないような感覚を味わえることだと
 思います。鉛色ののっぺりした肌理を手掛かりに痛みの記憶が巡ってきます。
 螺旋階段を上っているのか下っているのか。もしかしたら水平移動している
 のかもしれない。 次はどんな世界に連れて行ってくれるだろうか。
 

 

おじいちゃんのコレクション



           いわずもがな 孫一アート  増殖中

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...