2014年11月23日日曜日

おもてなし 京都



漬物で食べる朝食が懐かしい。お櫃のご飯が輝いてみえついお替わりしてしまった京都の朝です。そんなおもてなしを京都の宿で受けました。お金をだして質素を買う時代になってしまいました。畳のお部屋 埃が綺麗に拭われている窓の障子、季節ごとに変えられるだろう掛け軸やお花・ 坪庭の風景も玄関の石畳は それだけで「ようこそ」.


玄関は 住む人の心意気です。上り框は不便な構造だけれど その働きは隣近所が肩寄あい狭い家屋で共存する知恵の一つです。上がり框のないマンションの玄関が大小の靴であふりかえってしまっている近頃の家には、外も内もないみんな私の世界といった少々子供っぽい文化が育ってきているように思えます。
質素を単純に貧しいと思うのも清貧とイメージするのもそれはその土地にすむ人たちの意気でしょうね。もちろん生活には見えているものとそうでないものがあってこの旅館ももとは祇園のお茶屋さんでした。きっと清濁入り混じるいろいろなドラマがこの玄関を通して展開していたのだと思います。還暦組はそんな想像をたくましくしながらオイシイところだけみて旅の一夜を楽しむわけです。

 いいところとはしっとりした清潔感 家にいて家を守ることに十分時間を使えない生活ではこのしっとりした清潔感はなかなか難しいものです。共働き30数年になる私には得たものもおおきかったけれど失った生活の知恵も大きかったなと思わざるをえません。それは家を守り続けた専業主婦の母をなくして思うことでもあったのです。これから家の中での生活 残り少ない時間を小さな家を心地よくする時間に費やすのも楽しそうに思えます。生活を大事にする知恵も自然に生まれてくるでしょう。昭和組にはまだその記憶が十分ありますもの。




2014年11月20日木曜日

紅葉狩り

詩仙堂
詩仙堂 
東福寺 通天橋をのぞむ

鴨川対岸の紅葉

霊雲院の枯山水


京都の紅葉狩りは 格別な趣が感じられます。特に寺社の庭や鴨川は待ってましたとばかりの
景色です。目を紅葉から足元に移すとそこには雲海が・・・・
 謡曲の「紅葉狩り」は 紅葉狩りを楽しむ女官たちがいつの間にか鬼に変わってしまうというもの
でした。変わりゆく木々の姿や美しい自然の中に鬼を見出す風土がこの京都にあるようです。
紅葉のあるところあるところに人が集まってきます。それは今も昔もかわらないのでしょう。
近頃の京都は外国の人も多く、皆同じように紅葉の写真を撮っています。寺社の方丈で借景の
紅葉を中国のツアーの方たちと見ながら 「昔はこの景色 限られた人しかみることができなかった
のよね」 「庭の景色を暗い室内から眺めているうちに、いつの間にか景色と一体になってしまう感じわかる?」
なんて思ってました。
 比叡山のふもと修学院界隈の紅葉する里山を歩いていると雲上人も平民も自然に溶け込む感性は
同じだったのではないかと思います。京都という小高い山に囲まれた盆地はそれだけで大きな方丈なの
ではないでしょうか。京都の紅葉は自然と人間社会の境界を彷徨う鬼の姿だから多くの人をひきつけるのでしょう。
 怖いものみたさの心理というか   ぬれ落ち葉寸前の私には色気を感じる紅葉狩りになりました。

 方丈 :1丈四方の面積を差し1方丈は4畳半程度の広さ 正方形の建物で簡単に建てたり壊したりできる建物で
     僧侶や隠遁者に好まれた。仏教では方丈に全宇宙が内在しているとされる。


2014年10月28日火曜日

横浜トリエンナーレ 世界の中心には忘却の海がある

美術館前 WIm DELVOYE 低床トレーラー2007
忘却 単なる物忘れとしてしまうには申し訳ない文学的な言葉です。何か深い意味を感じることができそうなキャッチです。11月3日で最終日を迎える横浜トリエンナーレにいってきました。会場が横浜美術館を中心に新港ピア・海岸通りエリア・黄金町エリアを無料バスが結んで開かれています。一日あっても廻り切れませんね。
 美術館と新港ピアの会場を友達とまわってきました。二人とも現代美術さきがけの70年代に学生時代、若き気鋭の現代美術家から手ほどきを受けました。その後は美術からは離れた生活をしてきました。「忘却」といえば「物忘れ、認知症、介護、両親の残していったもの」と連想するものは身近な生活のことばかり。展示されている作品はそんな現実から少し目を遠くに向けさせてくれます。20代後半に出合った現代美術の作家たちの社会の枠組みを壊そうというエネルギーやスタイルも30年近く継承されるとそれはそれで一つの枠組みになってしまうものだなあと若い作家の作品を見ながら思います。今も現代美術家たちと親交を続けている友達は自分で枠組みを作っては壊し続ける作家たちの生き方に共感できなくなっていると醒めています。作品からエネルギーが感じられなくなっているのは自分の感じとる力が現実の生活にそのエネルギーを吸い取られてしまっているためなのでしょうか・・・ それも寂しい話ですが自分のエネルギーを費やしてきた現実の生活の方が展示された作品群よりはるかに面白さ満載に私には思えます。きっと美術から離れた私たちはスタイルでなくて枠組みを壊す方法を学んだのでしょう。
 11月3日 最終日 横浜美術館とグランモール公園でこのトリエンナーレのために作られた1冊の本「Moe Nai Ko To Ba」の朗読と本の焼却パーフォマンスがあります。キューㇾーターの森村泰昌氏によればこのパーフォーマンスは表現の自由を奪う焚書行為に対する抗議と失われたものすべてへの鎮魂を意味しているということです。横浜港の公園に大きな本の燃えてゆく姿にインスパイアされる若い人たちが何を感じるか知りたいところです。活字文化の消滅の象徴にならないといいな。二人が共通して感じたのは「自分のこと断捨離するなら今でしょ。」でした。自分を忘れないうちに・・
 

2014年10月3日金曜日

秋がきた!!

世田谷 砧公園の青空


世田谷美術館のあけび
今年 日本の秋は御嶽山の噴火に始まった感のある今日この頃 90歳で亡き母のお友達を世田谷美術館のある砧公園の散歩にお誘いしました。 連日放送される噴火の犠牲者捜索のニュース、イスラム国の拡大、エボラ熱の猛威デング熱の流行 株価の上昇と下落、危険ドラッグと犯罪 幼気な女の子の失踪と発見のニュースが流れる日常は、秋の気配も吹き飛ばすほどの緊張感をもたらします。一人暮らしのこのおばさまも胸痛む思いでニュースを聞いていらっしゃるようです。 「テレビは消さないのよ 声が聞こえているだけで安心」 たしかにテレビは不思議な存在感を与えてくれます。テレビ世代にはよくわかります。
 近頃 私はテレビのマスコミの世界にあおられてはいけないな。視覚のイメージは強烈で有無を言わさぬものがありますが物事はいろいろな側面からなりたっているものではありませんか。画像もまた写真を撮る人のフィルターで事実を切り取っていることを忘れてはいけませんよね。
 ドラマはその点気楽です。プロデューサーやディレクター、原作者、作者の伝えるイメージを理解する楽しさがあるわけ こちらは事実を切り取るのではなく事実を作り上げてゆくような作業ですね。すばらしいと思ったら それは 作り手の術にはまったということです。
 90歳のおばさまのお話は 日常の不安のこと身体のことお身内のことからご自分のお葬式まで
話題は 広く浅く深く広がりました。それは テレビのニュースやドラマより迫ってくるものがありました。お話を楽しむ時間というのは消えてしまいたくないものです。昔 恋華 今 濃い華
 お話の終わりは公園の秋空が待っていました。
 
 

2014年9月17日水曜日

みんなが言った!!


 渋谷に昔 ジャンジャンというメッカがありました。盲目の高橋竹山の津軽三味線の定期公演が打たれていました。席数の少ないジャンジャンのチケットは迷っているとすぐなくなってしまいます。というわけで高橋竹山は聞きそびれていました。 35年いやいや40年たってなんと2代目竹山の演奏をまじかで聴く機会に恵まれました。2代目は女性です。初代竹山に17のときに弟子入り し竹山の目となり耳となって来られた方です。スラリとした姿に太棹がよく似合います。
 若いときはだれでもアンテナは高いものです。私も自分のものにしてみたい、聞きたい、見たい、行きたいと思うものがたくさんありました。実現するにはお金も時間も自由にならないのは世の常ですがこうして再びめぐり合うことができると若い時からそう遠くに来てしまっているわけではなさそうだなあと嬉しくなります。還暦とはよくいったものです。若いときアンテナで捉えていたものを捉えなおしているような気分です。


京都円山公園に生息していた狸たちも・・・
ここでなぜ狸? 今回の2代目竹山の公演は3回目です。 2回目から女唄シリーズと謳って新作を発表しています。今回の女唄は「みんなが言った!!」田舎町の女性が周囲から監視され噂話になる息苦しさを詠った詩を竹山三味線・内田朋美ピアノのコラボで聞かせてくれます。
 この「みんなが言った」はアイルランドの女性詩人ヌーラ・二ー・ゴーノルの詩です。演奏前にご本人の読むゲール語の詩を聞かせてもらいました。その印象と演奏はとてもよく共鳴しているように思えました。「みんなが言った!!}を津軽三味線とピアノの演奏にのせていろいろな声音でくりかえし聞かされていくうちに「それがなんだ!」という気分になってゆきます。バチのはじきだす音が気持ちに弾みをつけました。「人のうわさ話や人の目なんて気にしない、気にしない、この狸たちのように生きてゆくんだ。」 というわけで狸の写真となりました。
 ナビゲーターのアイルランド文学者の大野光子さんは聴く人に感想をゆだねました。私はこんな感想をもったのですが ・・ これってアイルランドのおまじないにかかってしまったのでしょうか
 客に乞われて詠われる津軽三味線の口説きの芸能には気持ちを浄化するものが生きているように思います。戦争、殺人、妬み、嫉妬、詐欺、不信、絶望、貧困などが横行し生きることが苦しいときこそ芸能の力が救いになるはずです。 
 最後に2代目と一緒に竹山の歩いた東北を再訪した詩人佐々木幹郎さんが「口説きの津軽三味線は薄い衣をかけては焼くことを繰り返し焼き上げてゆくバームクーヘンのようだ。」と2代目竹山に寄せる期待を話されました。芸能は演奏者と聴衆の目に見えないコラボレーションなのね。そうして伝わってきたもの、伝えてゆくものがある文化をアイルランドと日本はもっていることに気づかされる一夜でした。芸術より芸能が好きな若い頃の私を思い出しました。

 

2014年8月23日土曜日

おじいちゃんの玉手箱

 おじいちゃんの夏休み   おおきなログハウスの窓辺で玉手箱の中で見せてくれたのは大気圏に飛びこんでくる宇宙線の姿でした。
  ドライアイスで思いっきりひやした周囲が黒い箱に謎の液体が注がれました。一片からLEDを
照らすと見えます!見えます!はかなく白い糸のような線が パット現れては消えてゆきます。私が今までみたものの中で姿の近いものというと 綿菓子の砂糖の繊維のようです。舐めるとパット溶ける。お爺ちゃんの薀蓄に?????? のファミリーですが おおおばさんが すかさずフォローに入りました。「放射線っていつもあびてるってわけね」
 

 遠い宇宙の彼方から発せられる宇宙線が身体を通過しているという不思議 目に見えるものを見えるようにする工夫に夏休みをかけているおじいちゃん 皆が覗いている液体の入った箱に
手を突っ込もうと狙っている孫一 そうはさせまいとしておじいちゃんの薀蓄もうわの空のお婆ちゃん かくしてログハウスの夜は更けるのでした。
 おりしもペルセウス座流星群が到来 すばる望遠鏡が宇宙の始まりとなった爆発のころにできた★からの光をとらえたという記事が新聞の片隅にのりました。昔の人たちは日が沈むと満天の★★を見て想像の羽根を羽ばたかせたことでしょう。今の私たちは何を手掛かりに想像力を育てたらよいのでしょうか おじいちゃんの玉手箱 来年は何をみせてくれるのかな

葡萄の木を枯らさないで・・

たくさんの実を掲げて大地に突き刺さる葡萄の木
古いほど捻じれ幹が割れている葡萄の木 
葡萄はおいしい食べ物だけでなく滋養の飲み物です。紀元前の昔から葡萄を栽培し生活の糧にしてきた国はイスラエルです。イスラエルの国の宗教ユダヤ教では葡萄の木は豊穣と平和の象徴です。ユダヤ教を背景としたキリスト教の教えを説く聖書ではこの葡萄の木や葡萄畑がたとえ話でよくでてきます。遠く戦火に見舞われているイスラエル・パレスティナの葡萄畑や葡萄の木はどうなっているのでしょうか。戦場となっている地域で生活を営む人たちはどんな気持ちでいるのだろうかと胸が痛みます。特にパレスティナは肥沃な土地ではないようです。荒涼とした岩山が延々とつづく中でこの葡萄の木と畑はなんとみずみずしく生命の象徴としてふさわしいものにうつることでしょう。
 戦争は人間の命だけでなく脈々と受け継がれる精神をも焼き尽くしてしまいます。荒涼とした砂漠しか残らない 荒涼とした砂漠は孤独と絶望 憎しみや懐疑の象徴です。戦争は勝者と敗者を決めるためのものではなく介入する国々の利権のぶつかりあいにすぎず大義名分などありません。
 写真のように木々の距離を置いてそれぞれの育ちを見守らなければどの木も多くの実をつけることができません。狭いところにたくさんの木があれば生き延びるための戦争になるのは国も人間も植物も同じです。距離は物理的なものだけではありません。目に見えない距離があります。似た者同士、目に見えない距離の近さが戦争の引き金のひとつです。お互いの似ているところを受け入れることができなければ結局どちらかが倒れるまで戦うしかなくなってしまいます。似ていることをうけいれる事の方が違いを受け入れるよりむずかしいことかもしれません。
 横に広げられなければ深く根を張り 縦横無尽に枝を這わせる葡萄の木の根元はあっとおどろくほど細く大地にささっています。戦争の解決の糸口が一日でも早く見つかることを祈るばかりですが海の向こうの出来事ではなく一度利権の拡大を目指して戦い荒涼とした砂漠を経験した歴史をもつ国の子孫として葡萄の木を手掛かりに戦争の糸口を考えたいと思います。葡萄はあらゆる手を尽くして荒涼とした砂漠を生き延び多くの実を実らせています。遠い異国の地にあってもできることはあるはずです。
 


2014年8月10日日曜日

孫一 寝返る

孫一 8か月 ちんちんに気が付くお年頃となりました。 
寝返り! 寝返り!の回りの声援をしり目に孫一は体重が重いことをいいことに一向に寝返ろうとしませんでしたがある日ひっくり返って泣いていました。 これが 6月の末ごろ 丁度一年前 ママがお腹を抱えて入院したころです。それを思うと生命の力強さにただただ感謝です。
 そういう思いに浸っていたのもつかの間おばあちゃん 今度は ハイハイ ハイハイといって騒ぎます。なんと調子のよいことでしょう。特におばあちゃんはせっかちです。そんなに急がせてどうしたいというの?。おばあちゃんは反省し静かに見守ることにしました。でも目が何かをいっている!ママ・パパはそう言っておばあちゃんをたしなめます。
 寝返りができた孫一にはいつの間にか前歯が2本見えてきました。よだれも多く離乳食も手でもって口に運ぶようになりました。 寝返りとよだれ 関係なさそうでとても関係がありました。孫一は寝返っては手を伸ばし触ったものを口に運ぶという芸当をするようになりました。手当たりしだいに口に運んでなめつくします。寝返りはいつのまにか匍匐前進となり行動範囲も広がってきました。おばあちゃんは雑巾がけが忙しくなり おばあちゃんと孫一がそろって床にはいつくばるようになりました。 はいつくばってみる世界はまた格別です。孫一のおかげで無くしたはずのペンダントも見つけることができました。匍匐前進からハイハイへ 孫一が機関車トーマスになる 日も近い!!

2014年8月8日金曜日

横浜 ベイサイド

横浜の夜は更けて
 みなとみらい駅から歩くこと10分
大桟橋に出ます。大桟橋の先端には
大きなホールがありますがそこにゆくまでのウッディで起伏のあるペデストリアンデッキは浮遊感のある空間です。大桟橋入り口に置かれた照明のアートと反対側の夜景が異国に誘います。


残暑お見舞い申し上げます

蓼科の空
連日の暑さから逃げ出して蓼科に行きました。 標高が高いということは空気が冷たいということなのだと実感しました。「このようなところで生活していたら空気のよさに鈍感になってしまうかもしれない。いっとき都会の喧騒や暑さから逃れてきたからしみじみ感じるよさもある」とうらやましさの入り混じった感想をぶつぶついいながら しばし香りさえかんじる蓼科の空気と空を満喫しました。
バラクラ イングリッシュガーデンより

バラクラ イングリッシュガーデンより
バラクラは 茅野市のビーナスライン沿いにあるイングリッシュガーデンです。実はこのガーデンがオープンしたての頃に娘を連れてきたことがありました。20数年ぶりです。そのころ新品のテラスも適度に枯れ、芝生ばかりだった敷地にはイングリッシュガーデンならではの草木が所せましと植えられています。 そのころなかったテラスや売店、おおきなテントが増設されていました。日本の庭造りとは趣が異なります。庭の比較文化を語るほどではありませんがどちらもそれぞれの魅力があってどちらの魅力も楽しめる自分っていいなと思います。蓼科にはこのイングリッシュガーデンが似合います



 欧米文化の影響か この庭のベンチに腰かけていると妖精や童話の世界が見えてきます。京都の庭では 妖精というわけにはいきません。極楽浄土という感じ どちらも心の中に眠っている物語を引き出す力が空気に感じられてしばし時間を忘れます。
 残暑から逃れるには 心の奥底の物語を探ってみるのもいいかもしれません。

 

2014年5月23日金曜日

きゅうりのキューちゃん ・とまとん ・なすピー

 今夏の駐車場ガーデンのラインアップです。
 親戚のヒロミチ師匠がプランターの苗を運んでくださいました。昨年のテーマは「食べる」だったのでひたすら収穫して食べました。
今年は「育てる」がテーマです。すでに師匠により元肥・追肥もすみ順調に育っています。
 私の仕事は水遣り 竿を継ぎ足し枝ぶりをそろえ実が大きくなるのを助けます。トマトの花にはトマトトーンというホルモン剤も噴霧します。
 気温が安定してきているこの時期は成長も早いとのことです。きゅうりは早速収穫 長さ20cm 周径10cmという代物です。採りたてはやはり甘くてみずみずしいです。トマトも青く実ってきています。赤くなるとカラスがきていたずらするそうなので赤くなりはじめのころに対策を立てなければなりません。近くに九品仏というお寺がありカラスのねぐらがあります。この時期子育てカラスを朝夕多く見かけます。プランターを置いた翌日にはそのそばに黒い羽根が落ちていました。
 秋まで 隣近所も含めて楽しめそうな駐車場になりました。

ワタシ「もうそんなに世話しなくてもよさそうね」
ヒロミチ師匠「なにをおっしゃる。よく観察してください。美味しい野菜は愛情が大切なんですよ」
        愛情とは観察することなんです。水のやりすぎは根腐れのもとです。世話のやりすぎ
        もよくありませんよ」
ワタシ「なるほど 師匠!!子育てと同じですねえ」
ヒロミチ師匠「??? 話が飛ぶねえ」


クジラは見ていた。

 
上野の国立科学博物館の特別展と企画展をみに上野にいってきました。
  上野公園内は深い緑に包まれて国立博物館前の噴水の白い水柱が映えます。         いいね!!連発
 国立博物館の右手に控える科学博物館の正面出入り口は立ち入り禁止 新しい入口から入ります。新旧合体の建物はいいのか悪いのか?中は迷路も迷路 どこが新しく古いのやら・・・
 記憶に残るシロナガスクジラがいました。これだけでも科学博物館は面白いですが・・


特別展は「医は仁術 」 解剖図や精巧な模型 医術の道具に目を奪われ仁術がぼけちゃった感じです。しかし解剖図が圧巻です。見ているものがご遺体であることに変わりないのに文化の背景が違うと線のなす印象は違って見えます。日本の解剖図はやけに生々しさが印象に残りました。
解剖にあったった杉田玄白らの心意気もさることながら 絵師の集中力と緊張感がそれ以上に伝わってきます。眼前に繰り広げられる状況に興奮する自分を抑えて筆をとる。レオナルド・ダビンチの醒めて静謐な解剖図の印象にもまさる解剖図の数々です。ダビンチとは違う暖かな血の匂いがしました。ダビンチが人間の機能的な形態に強い関心を示しているのに比べて内臓系の模写が多いように思いました。五臓六腑に強い関心があったのでしょうか。江戸時代の絵師になった気分で人間の体を観察する体験ができました。
 
 江戸時代という鎖国の状態は国民が生活や健康、長寿に目を向ける時間をつくったと説明にありました。本草綱目など薬草栽培や漢方・養生訓が庶民の生活に根ずきました。小石川養生所を中心に医術が一般の人に提供される場ができ人を労わり助け合う文化が育ったと解説がありました。「医は仁術」をテーマに江戸から現代までの医学の先端技術を紹介した展示です。展示から「仁術」を伝えるのは難しいと思いましたが「助けたい 救いたい 癒したい」という気持ちだけでは身体を襲う病気はどうにもならない理由が少し理解できたような気がします。踏みとどまって目の前の現実をしっかり見極めようとする目をもたなければと思います。今も昔もそういう人たちの努力があっての医学ですねえ。それが仁術のような気がします。
 

2014年5月7日水曜日

孫一 ぼくだって昇るぞ さあ鯉

sue's collection
 孫一 もうすぐ6か月 仰向けで手足をばたつかせる姿はまさに滝を昇らんとする鯉の勢いがあります。手足のバタバタに合わせて身体全体がくねくねするのがなんとも愛らしいお年頃です。興味を覚えると手を伸ばし引き寄せ口に運ぼうとします。口に届かないときは身体をふたつに折るようにして口に近づけます。一番のお気に入りはパパとおじいさんの人差指のようです。抱き上げると真っ先に抱いた手にかぶりついています。親指の第一関節がまだ上手に曲がらないので物をつかむことがすばやくできません。それでもほぼ手に入れているので大したものだと思います。
 この時期 巷では口唇期といってこれから半年ほど続きます。口唇期が子育てにとって特に大事な時期とされるのは母親との関係づくりの基礎になる時期だからといわれます。離乳食も始まります。乳歯の準備もできていきます。動きも大きくなってきます。確かに孫一の成長ぶりには目を見張るものがあり力強さを感じるおばあちゃんです。どのくらい集中してお乳をあげていたのか、見守っていたのか舐めたり口にもってゆくのを嫌がったのかということも忘却のかなたなのですが・・・。

浜名湖畔 親を見守る孫一


一説によればこの時期に過剰な可愛がり方やその反対に見放してしまうといった親の行動と思春期の神経症的な傾向に陥る場合の関係が深いといわれます。孫一はおっぱいから離れはじめマゴマゴしはじめました。マゴマゴしている人を強引にひっぱりまわすよりマゴマゴを暖かく見守り外にでる勇気と元気を育てる心の余裕が親には必要になるのでしょう。一緒にマゴマゴ、オロオロしないことです。長女・長男がとかく神経症的な傾向に陥るような気がします。どちらも初心者マークで「しなければならない」圧力が増長してしまうのです。孫一のパパもママも内心ハラハラしているのだろうけどで~んと構えています。おばあちゃんだけが絨毯の端を舐めつくす孫一にがまんできません。そういえばおばあちゃんは長女でした。

東海道 53次のうち31次まで

東海道本線からみる景色

 今年の連休は奥浜名湖横山で過ごすことになりました。私は横浜から東海道本線でのんびりゆくことにしました。東海道本線を掛川で乗り換え天浜線を使って約6時間の旅となりました。
学生時代はよく熱海までこの東海道本線を使って来たことが思い出されます。連休ですが東海道本線はほとんど軽装の旅人、中高年ハイキング組 若手学生集団、言わずと知れたチープ大好きカップルです。ニュースになるような混雑はなく最初から最後まで腰かけることができました。新幹線は快適すぎて寝てしまうことが多いのです。クッションのせいでしょうか。今回の道中は 熱海・掛川と適当に乗り換えがあり気分転換にもなりシートの堅さが通勤バージョンで一冊本が読めました。
 天浜線は1時間に一本 ゆっくり東海道を豊橋に向かって天竜川を超え奥浜名湖を回ってゆきます。一両編成ののどかな路線です。東海版あまちゃんの世界です。乗客も鉄道マニアが三分の一
天浜線 遠江一宮あたりの茶畑


あとはジモピー(地元の人たち)です。東海道線といい天浜線といい東名高速や新幹線の目に慣れてしまった私にはとても新鮮な視野が展開しました。列車のスピードはシャッターを押しても景色が流れない程度 東海道線は富士の裾野をなでるように進み富士の高嶺がゆっくりじっくり拝めます。これが今年の休暇の一大収穫のひとつでした。
東海道53次のうち掛川宿が26番目 ここから東海道は海岸線に入り袋井・見付・浜松・舞阪・新居・白須賀宿で湖西市を通り 二川・吉田宿の豊橋市に入ります。東海道と切れるのかなと思ったら天浜線の気賀駅には気賀関所があり姫様道中のお祭りもあるとか。姫は姫の道をゆくということでしょうか

天浜線 三ヶ日あたりの浜
天浜線の駅
天浜線の駅は全線にわたり国の登録有形文化財駅舎に登録されています。どの駅も映画の一シーンになりそうな昭和の匂いがします。線路はどちらをみても新緑に消えてゆき映画「小さな恋のメロディー」のラストシーンの主人公の二人が現れそうな景色でした。
電車を待ちながら映画の主人公を気取る還暦おばさんは私だけではありませんでした。あしからず!
・・・「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」の映画でもよかった。浜名湖がロケ地になっています。どっちかというとこっちかな。昨今は「女はつらいよ」だものね。

2014年4月22日火曜日

下ノ畑二居リマス。おやつはいつものところだよ。

花巻農業高校敷地内の宮澤賢治像と羅須地人協会の家


新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変えよ

春と修羅 第4集 生徒諸君に寄せる から

羅須地人協会の家の教室
宮澤賢治は大正10年 25歳のときから大正15年 30歳まで花巻農業高校につとめました。30歳のとき依願退職して花巻川口町下根子の実家内別宅で羅須地人協会を設立し、農業芸術運動ともいうべき活動を始めます。元祖文理融合推進派なのです。農業に科学と芸術の融合をみていたのでしょうか。
 現在この家が農業高校敷地に移築されています。家の中に入ると木造家屋の強い匂いが戦前日本の生活にタイムスリップするのを助けます。2階に妹トシが臥せっていました。賢治はここで自炊し 賢治に共感する若い人たちと暖を取りながら交流を楽しみました。

      羅須地人は宮澤賢治の造語 地人は農民を指すようですがきっと土・大地とともに生きる人すべてを意味しているように思います。羅須についてはいくつもの説があるようです。 決め手はなく賢治も取り立てて説明していないようです。
 この板書はただ自分の居場所を教える伝言だけでなくその言葉には「おやつがあるよ」というという意味を含んでいるというエピソードがあることを知りました。「いるよ」でなく「居ります」という襟をたださせるような言葉遣いと合わせ宮澤賢治がいつまでも愛される才能と人柄を持ち合わせた人だったことを思わせるエピソードです。
 明治29年から昭和8年の37年間は日露戦争・第1次世界大戦、世界恐慌・米騒動・関東大震災東北の凶作、冷害が度重なります。賢治が生まれた明治29年の明治三陸大地震・津波そして亡くなる昭和8年の昭和三陸大地震・津波賢治は2つの大地震の間を生き抜きました。賢治の感受性は大地と宇宙と交流し続けざるをえなかったでしょう。
 盛岡・花巻を旅行してイーハトーブ(岩手)の自然は人格を感じさせるものがありました。突き放すようなあっけらかんとした大地と北上川、岩手山と周囲の山々は厳しさと輝きを同時に放っていました。また訪れてみたい土地・人宮澤賢治です。

 
    

どんと晴れ! 老兵 ここにあり

小岩井牧場の一本桜と岩手山
もうすぐ桜咲く
今年はウソの被害はなさそう


岩手山

そらの散乱反射のなかに
古ぼけて黒くえぐるもの
ひしめく微塵の深みの底に
きたなくしろく澱むもの
                    春と修羅 第1集 明治22年6月27日

小岩井牧場入り口付近 桜並木の古木
こちらも桜のつぼみがふくらんで古木もほんのりピンク


小岩井牧場 パート3から

生な松の丸太がいっぱいにつまれ
            (陽がいつかこっそりおりていて
             あたらしいテレピン油の蒸気圧)
1台だけがあるいている
けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
しめった黒い腐植質と
石竹いろの花のかけら
さくらの並樹になったのだ
こんなしずかなめまぐるしさ






2014年4月18日金曜日

苦境でわかる私の限界

朝のニュースでボストンマラソンのテロ事件から1年の町の様子やテロには負けないという市民の意気込みを伝えていました。「苦境でわかった私の限界」はそのニュースの中で爆破により足を切断しリハビリに取り組む女性の発言でした。その女性は理不尽な被害にあったこと、足の切断という現実を人生の途上で抱えることになりました。その瞬間まで誰がそのことを予測することができたでしょう。それを思うと明日は我が身と思わざるをえません。
 私も60年の人生で何度も自分では苦境と思う状況を経験してきました。彼女のいうように確かにそのときに思わぬ知恵を発揮することができ出会いを得ることができたように思います。だから彼女の言葉が痛いほど心に残りました。もう一人被害にあい苦しい1年を過ごした女性は
「私にはこんなに力があったのだという知ることができた」と言っていました。なんと前向きな人たちでしょう。それだけに彼女たちの身に降りかかった理不尽さや痛みが想像されます。
 このニュースは力強く復活したボストンの様子を伝えるものでした。いまだ打ちひしがれて生活を立て直せない人たちは山ほどいるでしょう。ニュースは1面にすぎません。が苦境が人にいろいろなことを考える機会をつくりその人の人生を深めたことは確かのようです。苦境に立たされたことのない人はひとりもいないでしょう。テロや戦争のない社会をめざしつつも巻きこまれてゆく現代です。そのときになってみなければわかりませんがもし生き永らえることができたら「私」も彼女たちのように振り返えることのできる人間であってほしいと願います。 しかし どうかな? このヤモリのように尻尾をつままれて遠くに飛ばされてしまったら・・・。飛んでゆくヤモリは何を考えるのでしょう。「ヒエー」 か「鳥になったか?」「人間ども!!」 3択とすれば今の私は「鳥になったか?」と思うでしょうね。ここが対岸の火と思っているお人よしのお人よしたるところです。「人間ども!!」と思うのが当たり前の感情でしょう。
そこで人間に一矢を報うことができても解決できない問題が自分に残る。それが苦境です。苦境は自分という戦場かもしれません。お人よしには戦場が見えないでしょうね。戦場が見えないと生き残ることも難しいというものです。

2014年4月13日日曜日

いないいないばばあ ・・? おっと いないいないばあ!


いない・いない・バンブー
いないいないばあ いないいないばあ で孫一が笑うようになりました。 生後5か月。お母さんとお父さんの顔はわかっているようですね。ときたまご機嫌伺いのおばあちゃんのいないいないばあに、いまひとつのりの悪かった孫一が今回はしっかり笑いました。手で隠した顔がいないいないばあといって顔をだしたときのはっとした表情はこれまでにない感情の表れのようです。知的とでもいいましょうか 好奇心とでもいいましょうか 雨後の竹の子のような力強い表情です。
 いないいないばあの写真を探しているときに昨年の竹の子採りの写真を見つけました。春先の竹林で竹の子を見つけたときの「しめた」という感じに似てるような気がします。 採集民族の血が騒ぐという感じ 狩猟民族の血でもいいですね。孫一もそんな血が騒ぐようになってきたのでしょうか。確かに手に触ったものをつかんだり離したりするだけでなく、口にもっていくようにもなりました。つかむ力も強くなりました。ベッドサイドには、小さなぬいぐるみが10個ほど洗濯ばさみにつるされています。孫一はこれをよく見ていますが最近は手を伸ばすようになりました。ある日この小さなぬいぐるみたちはすべてベッドに落とされているという事件がありました。もちろん孫一の仕業です。
みた!つかんだ!とった! トラ・トラ・トラ 孫一戦闘態勢に入ります。おばあちゃんだって 「いないいないばばあ」などとは言わせないぞ。






デイ・サービス みっちゃん


横浜 山手111館のテーブルデスプレイ
日曜日に二人の老婦人をお招きして我が家でランチをしました。お二人とも母の友達です。3人の合計年齢は233歳になります。 母の一周忌も終わり気持ちにけじめもついたころです。お二人にとっても母とは同年齢でお互いの健康を気遣う間柄でしたのでさみしさもひとしおのことと思われました。お一人はご主人を亡くして一年 もうお一方は独身を通された方です。共通項は母と茶道というところでしょうか。それぞれが母を通して知り合いました。この日は牛肉たっぷりすきやきと私のつくった春野菜の含め煮ですませました。「お醤油とお酒、みりんとお砂糖、お水で割り下をたっぷり作っておくといいのよ」と母と同じように私を諭した後、お話の弾むこと弾むこと お一人は耳が遠くなられてから外出も億劫になってしまったといわれましたがご自分のこと、母のこと、茶道のお稽古このことをよく話されました。もう一人の老婦人もはっきりしたもの言いが潔く、滑舌もすばらしいので耳が遠くなられた方にとってもよくお話が聞こえていたのでしょう。お食事をしながら2時間楽しくすごすことができました。人生80を過ぎるとご自分の人生を振り返り言葉にしておきたくなるお気持ちが伝わってきます。お話をしながらご自分の終活の思いを語られるお二人に清々しさがありました。きっとよい人生の閉じ方をされるのではないでしょうか。頼もしく感じました。お二人ともお互いの人生に興味を持たれたことがお話を深いものにしていました。なぜ結婚に踏み切らなかったか。連れ合いがなくなってからの生活をどう楽しもうとされているか、茶道やお稽古事になんど助けられてきたことか。などなど私の話など木端微塵のごとく消えてしまいます。自慢話でも悲観的なお話でもお説教でもないほどよい加減のお話のお出来になるお二人です。母が亡くなってしまい身近に年長の身内が少ない私には貴重な存在です。私の知らない母もあり70代 80代の生き方ヒント集のような2時間でした。またこんな機会を作ってみましょう。ちょっとしたデイ・サービス気分ですが・・・サービスを受けたのは私のような・・・
 いろいろな社会的なサービスが増え利用者もサービスを選択できる時代になってはきましたが身近にできるサービスにもっと頭を使ってもいいのではないでしょうか。60代はそんな頭の使い方をしてみたいと思いました。

参上!ギャートルズ

ギャー
孫一 4ヶ月 ギャーギャーも近頃はバラエティーにとんできました。日本ではギャーギャーは泣き声と言いますが婿のアメリカでは叫び声と言います。泣き声と叫び声ではだいぶニュアンスが違いますね。日本人はウェットな精神構造だといわれています。ギャーギャーは「泣いている」と聞こえ可哀想という感情を引き起こして強く抱きしめる行動に親が出がちになります。
 同じ状況でギャーギャーの声が叫び声に聞こえると「どうしたの?」と近寄るか「何!!」という危機感をあおられたりします。泣き声にしても叫び声にしても親の感情はぐっと引き寄せられますが目の前の赤ちゃんに対しての構えには違いがでるように思うのです。この構えの違いが子供の育ち方にも大きく影響している思います。自分は親から「かわいそうに」と思われて近づかれてこられたか「なんだ?なんだ?」と好奇心の塊になって見つめられていたか。どちらがどうということはありませんが「なんだ?なんだ?」と赤ちゃんと一緒に同じ方向を見るという気持ちも成長には必要な関わり方に思います。どちらの眼差しに偏ることなく見つめられたら赤ちゃんものびのびと育ってゆくように思います。若い親は抱きしめたくなるような気持ちと何だろう?という気持ちに翻弄されながら赤ちゃんと一緒に人への距離感を育ててゆくのですね。
とるぞ
「かわいい」も「可哀想」と同じように相手に強く向かってゆく眼差しです。おばあちゃんは「かわいい」に偏りますよ。だって「なんだ? なんだ?」はだいたい答えに検討がついてしまいますもの。
 自分の子供特に長女のときは何もかもが初めてで子供がとんでもない生き物のように思えていました。今でも子供たちは「なんだ?なんだ?」の世界ですが。孫は違う。「かわいい かわいい」です。
 といっても孫は孫 自分の子供ではないので娘の遺伝子、婿の遺伝子、社会の荒波でどんなふうに展開するのか未知数ではあります。「かわいい」「かわいい」ばかりでなく「フォローミー」のように後ろからついてゆく眼差しもおばあちゃんには欠かせません。そういえばギャートルズはいつも草原をみんなで列を作って走り回っていましたね。もうすぐ孫一の後をお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさんが追いかけまわる日も近いでしょう。追いかけまわせるほどの草原が身近にあるといいのになあ。

はじめ人間ギャートルズ
 歌詞 園山俊二
 作曲 かまやつひろし
http://www.uta-net.com/movie/39513/


2014年3月31日月曜日

桜でゴメン 消費税

千鳥ヶ淵公園 夜桜
今年の桜 東京は28日開花宣言 29日には満開 30日春の嵐 そして今晩 千鳥ヶ淵公園で夜桜見物
  お花見は毎年繰り返される光景ですが人も花も年輪を重ね気分がリセットされるような気持ちになる風物詩のひとつです。
  年の始めは1月ですがいろいろな活動は4月に始まるのが日本では倣いになっています。
4月スタートは将来もそうでしょうか。温暖化も手伝って春秋のニュアンスのある季節が短く感じられるこのごろです。
 退職して家の事をするようになると年度末 年度始めのなんともいえないわくわくする気分のやり場に困りました。年度末の締めくくるわずらわしさもなく年度初めの新人との出会いに彩られることもなく日々がすぎてゆきます。 年度に縛られない自由さを感じながらやや寂しい気持ちもありという日々です。

  母は姑から家計簿の付け方を教わり亡くなる年の春まで50年近く続けてきました。晩年は計算が合わず何度も繰り返したり私と記帳を分担したこともありました。手元にあるノートは20冊以上になりました。主婦の年度始めは1月でした。大晦日は正月の準備のあと大掃除、家計簿を締めて 年越し蕎麦で1年が終わります。ノートを見ていると堅実な家庭の姿が見えてきます。残念ながら共働きの私にはこの姿は伝わっていません。20年後の私は自分の財産を管理する力持ち合わせているでしょうか。家計簿はパソコンアプリに変わり計算も電卓を使うことが当たり前になって暗算することがなくなりました。消費税8% の計算も暗算するにはめんどうです。これで自分のお財布の中味を大切にできるのでしょうか。と不安がよぎります。母にとっては家計簿は物価の値上がりを肌で感じ、倹約の工夫を自然に身に着けるための教科書だったようです。
満開の桜は年度初めの緊張感を一瞬忘れさせてしまう威力があります。だから4月なの消費税? 夜桜に繰り出す人たちに交じりながら束の間気晴らしを楽しみました。

2014年3月22日土曜日

朝まだき ウグイス初鳴き 東山

 3月17日 朝 庭先でウグイスの鳴き声を聞くことができました。しっかりした「ホーホケキョ」です、ケキョケキョは 縄張りに侵入する敵を知らせる鳴き方だそうです。「ホーホケキョ」も縄張りを知らせるようです。暖かくなった早朝に聴く「ホーホケキョ」は格別です。高らかに自分の居場所に名乗りをあげる小鳥のけなげな姿を想像すると元気がでてきます。私も透る声をだしてみたくなります。
春の始まりはそうでなくちゃ。 
 
馬酔木


水温む(みずぬるむ) 独活(うど)和え 蜆汁 雲雀 ムツゴロウ ミモザ ユキノシタ スズラン カタクリ アネモネ サクラソウ タンポポ 弥生 長閑 東風 風光る 雪の果て 霞 蜃気楼 山笑う流氷 流し雛 4月馬鹿 ・・・・

季寄せ・歳時記を読んでいるだけで春になる。夏の季語を読んでいると冬でも夏の気分になる。

港の見える丘公園の拾い物


港の見える丘公園から港をみる

 春風に誘われて港の見える丘公園まで出かけました。東急線終点の元町・中華街の駅6番出口をでてすぐ港の見える丘公園の入り口にはいることができます。一山上るともう港がみえます。この山の名前はアメリカ山、フランス山といってその昔領事館が軒を並べていたところでもあり周辺には当時の外国人高官の居宅が多く残っています。
 いまでこそおしゃれでハイカラな町ですがその昔はハイカラというよりも日本であって日本ではないような町だったでしょう。
 ここに住んだ外国人は丘の上から母国を思いさみしい思いを募らせていたのではないかと勝手に思います。ときどき聞こえる船からのぼーという音が明るい風景をロマンチックなものにしてしまいます。
YOKOHAMAは白壁と青空がよく似合う
霧笛橋
この公園の奥に県立神奈川近代文学館があります。黒岩重吾生誕90周年を記念した企画展が開催されていました。オール読物の黒岩重吾、怪しい作家と勝手に思い込んでいた私にはこの企画展は思い込みを払拭してくれました。さっそく全身麻痺になられたころの作品「どほらや人生」や代表作「背徳のメス」 額田王をテーマにした「茜に燃ゆ」や遺作「闇の左大臣 石上朝臣麻呂」を読んでみようかと思っています。これもご縁です。
 もうひとつご縁がありました。 ビデオライブラリーの「澁澤瀧彦を語る高橋睦郎氏」です。「時間を生きるのは辛いことです。おもてなしは辛いことを忘れさせるもの」という表現でオープンマインドでサービス精神旺盛な澁澤瀧彦の芸術活動を評されました。あっさり「時間を生きることは辛いことだ」と言われた高橋氏の言葉は、日頃「生きること=時間=楽しくなければ」と思い込んでいる私には目から鱗のお言葉でした。言葉でよく言い表せないのが残念ですが 「おもてなしこそ 辛い時間を忘れさせる。辛い時間を忘れさせるようなおもてなし」「生きることが辛いからこそ創作活動の時間つぶしに命をかける」という意味に私は受けとめ、勝手に得心しました。
 私は勝手な思い込みの多い人間です。ご縁を感じるとき勝手な思い込みに気づかされます。
還暦すぎると思い込みの多さに自分でうんざりしますが またそれだけご縁も多いものだと思い
おもてなしを受ける楽しみを味わおうと思います。

2014年3月19日水曜日

利休をたずねて

 



  あの人変わっていると思わない?と友人から同意をもとめられた茶道の師匠は「そうね あなたも私からみたら変わっているわよ」と切り返しかっかっと笑い飛ばしてきた話をおもしろそうに私に話してくれました。「自分の物差しで相手をみたら自分以外は誰だって変わっているに決まってるわ」師匠の人生哲学に触れるのもお茶のお稽古の楽しみです。4ヶ月のご無沙汰のご挨拶に師匠を訪問した日の一コマです。
 「 せっかくだから」とお茶のお稽古をしてくださいました。逆勝手のお薄点前 、右と左の点前の違いにアタフタしながら 師匠のお話に相槌を打つという日頃にない頭と身体の使い方でした。が終わってみれば 爽快感が残ります。ストレッチ体操をした後のような・・・・。4ヶ月の無沙汰は敷居を高くしてしまいますが行ってよかったお富さんでした。師匠の懐の深さに救われました。感謝!

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...