2017年12月25日月曜日

究極のクリスマス・ディナー 

2014.4.13 当ブログデイサービスみっちゃんの写真から
一人暮らしのおばあさんとクリスマスディナーをしました。おばあさんは、明るく独身で生涯を終えることを「自業自得だ」といってのけます。90歳の人生からくる「自業自得」の言葉の衝撃は大きいです。傾聴もここまでかとクリスマスディナーのお寿司が胸につかえました。
 90歳のおばあさんの人生を振り返れば戦争に始まる20代、兄弟を戦争にとられ、終戦で残ったのは兄弟の位牌と病弱の母。家族を支える担い手は自分しかいなかった。手に職をつけひたすら家族のために働いて、気がついたら婚期も機会も逃してしまったのだから
「私が決めた道だ仕方ない」。とデイサービスから帰って一人になり寂しくなると
自分に言い聞かせるのだと言われます。人気のない部屋に帰るのはだれでも寂しいものがありますが90歳のお年には応えることでしょう。
 おばあさんのこの物語は何度も聞いてきましたが、気持ちを口にすることで、明るく人生に向かってゆかれる姿が見えて頼もしさを感じずにいられません。おばあさんの話のお相手をすることで、私もおばさんの顔がおひさまに向かうのを手伝っているような気がします。それで同じお話しに何度もつきあってしまうわけです。今回は「わが人生自業自得」と笑い飛ばされました。今日の話の流れではいづれ「人間万事塞翁が馬」の心境にいたるのではないかと楽しみにしつつ、願っています。

「人間万事塞翁が馬」
   城塞にすむ老人の馬が逃げ出した。一家の収入の担い手をなくした老人を慰めると
老人は「このことが幸福にならないとも限らないよ」という。しばらくすると逃げ出した馬がたくさんのよい馬をつれてかえってきた。近所の人々が老人をお祝いすると老人は「このことが災いになるかもしれないよ」という。しばらくすると息子が馬から落ちて骨を折ってしまった。みんながお見舞いにゆくと老人は「ありがとう。このことが幸福につながるかもしれないね」という。しばらくして戦争がはじまった。息子は折れた足のせいで戦争に行かずにすんだ。
 人間(世間)の禍福は予測できないものだ。という中国の故事「淮南子」から

2017年12月23日土曜日

Merry Christmas はいづこに。

名古屋高島屋 
  どこもかしこも電飾、イルミネーションが美しく夜空を照らす年末です。
気ぜわしい気持ちも一息つくところですが。エルサレムの夜はいかがなものかと
思いをはせないわけにはいきません。クリスマスはキリストの生誕の祝日とされ、キリストが死、復活した地エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地です。
 エルサレムは、古来その所有をめぐって争が続き、政治も、人々の生活の面も微妙なバランスを保っていたはずでしたが・・・。利権は分かちあうのではなく分捕るもののようです。分捕り合戦の末では奪われた側も奪った側にも平和はないでしょう。
 
私の今年のクリスマス・プレゼントは、リサイクル・ハンドメイド+アルファがテーマです。 ニンジャ志願の孫一には ゴールド折り紙で作った手裏剣の数々。アーティスティックなワーキングマミーには、私の革細工工具。中年男性を相手にするミュージッシャンのダディーにはオールドポップスを私のコレクションから。サイエンティストからカーペンターに変身中の夫にはオールインワンの作業着をワークマンで。妹には祇園で買った転倒予防の舞妓さんのぽっくりのお守り。20代最後のお誕生日祝いを兼ねて次女には中村芝翫の襲名披露と勘九郎兄弟の酒呑童子。国境なき医師団と国境なき子どもたちにはワクチンとミルクの支援金を。

 本当のプレゼントは、物に託された私の気持ちです。聖書の一節 ローマ人への手紙5章から今年は、「患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み、希望は失望に終わることはない。」
「By whom also we have access by faith into this grace whrer: Andin we stand,and rejoice in hope of the glory of God. And not only so,but we glory in  tribulations also: knowing that  tribulation worketh patience;And patience,experience;and experience,hope.」をカードにしてみました。
                         
手裏剣ではこの気持ちは伝わらないと思うので孫一には「がまん」の文字をカードに。
そうだ!どこかの国の分捕りじいさんにも送ろう。「GAMAN」



2017年12月5日火曜日

どらこにあ⁉

世田谷文学館の澁澤龍彦 ドラコニアの地平展をみてきました。世田谷文学館は世田谷の芦花公園のすぐ近くにあります。
 澁澤龍彦は 昭和3年生まれのフランス文学者・翻訳家、マリキ・ド・サドを日本に紹介しました。57歳で亡くなるまで文学・美術・演劇に影響を与え続けました。亡くなってから「高丘親王航海記」で読売文学賞を受賞されています。
 企画展の多くは彼の原稿で占められていました。2B,3Bなどの柔らかい鉛筆で書かれブルーブラックの万年筆で校正されています。 字は丸く、優しい人柄が感じられます。決して執筆を急ぐことなく、静かに原稿に向き合っている後ろ姿が浮かんでくるようです。校正もわかりやすく、思わず原稿を読んでしまいました。私は最近原稿用紙に書くことはほとんどありません。みんなパソコンで文章を考えます。こうした手書きの原稿をみると「言葉」のもつその人らしさが伝わってきて興味深いものがあります。パソコンの活字を何度読み直してみてもなかなか自分にたどり着けないのはそのせいでしょうか。原稿用紙に書くには途方もない時間が必要な気がして今の生活ではむりだなあとあきらめてしまいます。ひと昔前の人は贅沢な時間をもっていたものです。
 澁澤龍彦の文章はとても読みやすく、難解そうな絵や演劇の謎めいた部分が伝わってつい読んでしまう作家の一人だったことが思い出されます。澁澤龍彦の40代は私の20代と重なります。「アンアン」「みづゑ」「文学界」などなど・・
 かなり老成した学者だろうかと写真をさがしてみれば パイプをくわえた黒いサングラスのおじさんでした。アブナイ、アブナイと20代の私の目には映りましたが・・・
 澁澤龍彦の部屋の一部も再現されていました。彼が偏愛したといったモノたちも
陳列されています。骨董的な価値があるものや必ずしも芸術作品ではなく、石や貝殻などもあります。彼の部屋に置かれていると何かそれに意味があるように見えてしまうから
不思議です。いまだ彼の魔術にかけられているのかもしれません。
 今回初めて彼が晩年病気によって声帯をなくしたことを知りました。多くの原稿と友人たちとの手紙や贈られたモノ、収集したモノたちに囲まれて過ごしたことが想像されます。原稿の魅力とあの時代の熱気が伝わる企画でした。
 彼が偏愛した石や貝殻には人の根っこに訴える何かがあるのでしょう。澁澤龍彦という人は石が宝石にみえる幼児期の思いをずーと持ち続けていたんだということをこの企画展を通して知ることができました。読むぞ「貝殻と頭蓋骨」「高丘親王航海記」。

企画展のポストカード





2017年11月27日月曜日

One Day Trip Gifu


岐阜公園入口から見た五重の塔


金華山ロープウェイから岐阜市内

長良川眺望
岐阜城の石垣

僕は4歳

孫一は4歳になりました。 110cm、17kgです。手も足も大きい4歳。保
育園でもひときわ目立つ男の子です。なりたいものは「ニンジャ」。ママは何を
おいても一番好き。着替えはバッチリ独り立ち。小さなボタンも大丈夫。たたむの
はどうかな? 縦に並んだ衣装ケースの4つの引き出しを上から顔、胴体・足で立
ちながら同時に押し込む技をもっています。
 朝はNHKの「花がっぱ」で目覚め、「ピタゴラスイッチ」でご機嫌を直し、
食卓へ夕食は、口うるさいおじいちゃんの前から皿をもって消え、ソファーの後ろに
自分で作ったマイルームで孤食。もちろん完食。
 お絵かきや象形文字をならべ、呪文を
となえています。ときどき壁に向かって
胡坐をかき、しきりに頭を下げるのは
何のまね?
 自分でやってみたい気持ちも強く
なりました。その分自分のことが話題
になっていると耳をダンボにして聞い
ています。少しでも大人が笑い声
をあげると大きな声で泣いてしまうのは、
少々自意識過剰だよ。孫一さん!
 誇らしげに指を4つだして
「僕4歳」
じゃんけんにいたっては「おばあちゃんは
グーだしてね」と指令をだし自分はパーを
だします。 チョキでもだそうものならとびかかってきますよ。
 朝「おなかいたい。おなかいたい」と
ごろごろして食事をいやがってみせるのにママの
耳元で「僕 パンならたべられるよ」だって。かけひきをします。
 そういえば 今朝出がけにはさみを使って何かを夢中できっていました。
帰ったらゴミ箱をのぞいておきましょう。気になる4歳です。
 
 
 
 

紅葉狩り 東山公園




ああ! 戦友

戦友というのはおこがましいですが・・・・ 
戦地は共働き、子育て最前線。30数年前は女性が働くには
まだまだ厳しい環境でした。
 バギーの乗車拒否、子連れ入場制限、アレルギー食などなど
子連れで外出すれば障害の数々。まして働き続けるとなれば
産休、育児休業と休職中の手当、0歳児保育所探し、
保育所の公認可の運動、学童保育の家や指導員さがし、
と仕事や家事以外に解決しなければならない日常の問題がやまほど
ある時代でした。
 大卒女子学生の就職は氷河期と言われる反面、女性の社会での
役割も大きくなってきた時代でもあります。良妻賢母教育の
賜物のような私も親元を離れ新しい家族をもつようになりました。
良妻賢母教育の割には家事・行儀見習いの経験の乏しい私には
家庭外の方がやりがいが感じられていたのかもしれません。
 戦友は、私にさきがけそれこそ子育て最前線に立って育児休業に先鞭をつけ
私には0歳児保育所を紹介され、学童保育立ち上げに邁進されながらも
組織の中で重要な仕事を担っていました。学童保育所立ち上げに苦労話を
本人から聞くまで気がつかなかったほど鮮やかな仕事ぶりでした。
 彼女が上等兵、私は少年兵といったところ、戦場に当てはめる
のはどうかな?と思いますが毎日に必死で明日が見えない日々を過ごすという
緊張感は人それぞれです。 これが私の最初の戦争体験でありました。
彼女の投げるボールを必死に受け止めることで仕事と矜持を身に着けることが
できたように思います。彼女が異動になってからも組織の中で自分の役割を
まっとすることができたのはタグを組んでくれた彼女のお蔭です。
 人が亡くなって気が付くものがたくさんあるように思います。両親や
祖父母たち、若くして死んだ友人たちも私の中で生きていることが実感できます。
彼女もまた同じように私の中で復活してくるように思えてなりません。
 享年 67歳 深く優しい思いやりと強さを持ち、毅然とした態度のとれる女性でした。ご冥福を心からお祈りします。病床の彼女から最後に投げられたボールはしっかりキャッチしましたよ。みててくださいね。

2017年11月18日土曜日

富士よ!

 
 九州場所が始まった と思うまもなくの横綱の暴行事件報道。酒の席 、スマホから
目が離せない若手力士、 聞く耳を持たないと切れる先輩 、 強打されても大丈夫と
出勤してしまう過信 、時間外の出来事は上司に報告する必要なしの身勝手な判断
 など 加害者、被害者ともに九州場所前の緊張感とは無縁の出来事に相撲ファンは
呆気にとられるばかりです。
  社会的影響力のある人の暴行事件の報道はとかく バッシングで炎上し、世論は
排除する方向に流されて終結になりますが、同じような事件が繰り返えされる
ということはバッシングだけでは社会は、変わらないということではないので
しょうかねえ。
   ジャーナリストを自負する方々の見識ある報道を期待しています。記者が
自分の目 耳で集めた情報を右から左へと自分のフィルターを通して情報を流し
早い者勝ちを競うばかりでなく、当事者、関係者の多様な人間関係に踏み込んで
事件に至るまでの経緯を掴んで欲しいとは思います。
 反社会的事件の背景には社会全体の歪みや軋みが見えてくると思うのですよ。

2017年11月13日月曜日

芸術の秋 音楽の秋 心の飽き

秋の夜長 地元で企画されたクラッシック音楽祭にいってみました。2日にわたり
2つの私邸を利用して23人の音楽家が多彩なプログラムを展開しました。私は
日曜日の最後の2つのプログラムです。平井千絵さんのピアノで「セブラックの世界Ⅱ休暇の日々」から「ショパンの泉」「鳩たちの水盤」など4曲と三界秀実 クラリネット、森田昌弘 ヴァイオリン、田中雅弘 チェロ、ピアノ 安田正昭でオリヴィエ・メシアン(1908~1992)の「世の終わりのための四重奏曲」を楽しみ秋の夜長がさらに長く感じられる体験をしました。平井さんの演奏会場と4重奏団の演奏会場が異なるので会場間を歩いて移動。この時間があったので曲想の違うプログラムも無理なく受け入れられました。
 セブラックという作曲家(1872~1921)は知りませんでしたので、明るくおしゃれな優しさが演奏家の持ち味とミックスされ気持ちよい時間を過ごしました。20人ほどの聴衆と演奏家の距離は2mほどで、演奏家の表情や華奢な指先も目に入ってきて目も耳も楽しませてくれました。音楽の仕事をしている人の自室に忍び込んだ猫はきっと贅沢な時間を
過ごしているのでしょうねえ。猫になりたい!

 「男のメシアン」というプログラムだけあり、ミドルエイジの演奏者たちの醸し
出す雰囲気に会場の緊張感が高まります。そして現代音楽の先駆けともいわれる
オリヴィエ・メシアンの四重奏、緊張はさらに高まり最後の弦の音が消えてからの
演奏者と聴衆の沈黙の時間のなんと豊かだったこと。沈黙が自然にとけてゆく瞬間
も美しかったです。
オリヴィエ・メシアンと私の接点は学生時代にまでさかのぼります。面白半分に
受けた米国美術史の先生が神父であり、現代美術家という方でした。70年代後半
の芸術界は活発に古典からの脱皮を重ねていた時代でした。メシアンは長く音楽界
で活躍し鳥の声や色彩や宗教をテーマに作曲、演奏を貫いていました。私の美術史
の先生はメシアンを高く評価されていて熱く語られ、演奏を聞かせてくださいま
したが私は?????。
 のちにジョン・ケージ、高橋悠治の演奏や曲に興味を持つことができたのは
その授業のおかげでしょうか。
 家にかえってからメシアンをYOU TUBEで探して聞いてみました。
がやはりあの臨場感の印象に勝るものではありませんでした。そういえば学生時代
にはこの手の音楽にCDなどはなくライブしかありませんでしたね。それを探して
出かけてゆくのは田舎のネズミにはすごい冒険だったことを思い出しました。
 
 



2017年10月24日火曜日

応仁の乱 花の乱 安倍の乱

 今年は天文街道ツアーに行く機会があり京都の町に残る歴史の香りを楽しみました。夏には土蜘蛛の舞台 葛城山の麓でキャンプでした。秋になって 新書「応仁の乱」を読み始めたので西に引かれている感じがしています。
 応仁の乱は、終息まで10数年 京都は焼野原になりました。経済基盤の荘園は、既得権争いに寺社を巻き込みました。さらに度重なる天変地異。生活基盤を取り戻すべく国人 農民が立ち上がりました。天皇家は、有名無実。将軍家は、2つに分かれて争い続け力を失ってゆきます。将軍家に変わり実力を持つ武家が地方に現れます。戦国時代の始まりです。「花の乱」は、将軍足利義正の正室日野富子を主人公にしたNHK大河ドラマで、1994年放映されました。
  「 応仁の乱」の研究者もテレビドラマの脚本家も 歴史は、人一人の力では作られないことを言っています。社会が変化してゆく伏線は長い時間をかけあらゆる階層し浸透してゆきます。集団の意思を代表する人たちの抜き差しならぬしがらみでよどみができ、既得権を守ろうとする立場と、時の流れを掴んで新たな権益を生み出そうとする人たちの、駆け引きが、あらゆる階層で繰り広げられ大きな流れになってゆくのが歴史です。
 野党の足元をすくうような衆議院解散宣言に始まった今回の選挙とその結果。憲法改正にむけてのムードつくりが大きく動いたようなきがします。71年前に憲法が公布されたとき「戦争はしない」というのが日本の決めた道でした。えっ違うの?安倍さん!
 時間をかけてやるべきことは「どうやって憲法がつくられたか」を検証することではなく疎開先での苦労、戦地に息子を送り出す親の悲しみ、上官の命令で突撃し死ぬこと無念、戦地の恐怖、空襲に逃げ惑う恐ろしさ、寄る辺ない子、被ばく者の痛みを想像し戦争の耐え難い重さを世界中に知らしめる役割を果たすことではないでしょうか。


  

2017年10月23日月曜日

市場か 大型スーパーマーケットか それが問題だ!


 台風一過 名残りの風を受けながら買い物に出かけました。昼下がりのスーパーマーケットはいつにない人混み。人混みにひるんでしまいました。東京の小さな町にできた大きなスーパーマーケット、戦後にできた東京のはずれの町も今や職住接近の人気の町になりました。スーパーマーケットには高齢者も若い夫婦も子供と3世代が集まります。
 スーパーマーケットからあぶれて商店街に、駅を挟んだ500mほどの間に靴屋から100円ショップ、ケーキ屋、花屋が5件、肉屋、時計屋。お茶屋、写真館、図書館、本屋、クリーニングと珈琲ショップ、カラオケ、美容院、居酒屋、パン屋、酒屋、和菓子屋とぎっちり小さな店が軒を並べています。歯医者、耳鼻科、皮膚科、内科、整形外科の入ったビルもあります。4時から6時の歩行者天国には学生の集団や犬の散歩も交じってにぎやかです。
 商店街の市場には、魚屋、乾物屋、惣菜屋、果物・八百屋が入っています。八百屋の主人は同級生、魚屋の主人はまだまだ元気な80歳、若いアルバイトのお兄ちゃんが威勢のよい声をかけ、花屋の看板娘は丁寧に花を選んでくれます。
 スーパーマーケットの買い物に比べると商店街での買い物の方が控え目になりますが
買い物感は充実しています。 スーパーマーケットは手あたり次第に籠に入れ気が付いたら予算オーバー。買い物感は充実より「しまった」感ばかり。
 便利なスーパーマーケットは忙しい家族や生活にはうってつけではありますが。今の生活にあった買い物のスタイルを考えてみたいものです。商店街のある町は楽しいものがあります。丸干しののどぐろがとてもおいしそうに見えました。甘いみかんも見つけました。たぶんスーパーマーケットだったらたくさん並んでいるものに目を奪われ買わなかったでしょう。
 

2017年9月18日月曜日

3歳の夏 孫一見参!

忍者一色の夏休み。忍者孫一はプール・キャンプ・動物園に出没しました。とどめは和歌山城の天守閣。3歳になるとこうも体力・気力とも飛躍するものでしょうか。走るは走るは。和歌山城の太鼓橋からすでに忍者モード。腰を沈め、後ろ手に忍びのポーズをくずすことなく天守閣まで走りぬけました。おばあちゃんも日ごろの運動とサプリのおかげで
ついてゆくことができましたが来年は無理でしょう。
 「おぬし やるな!」これはおばあちゃんに向けての孫一の御言葉!姿だけでなく
言葉までも なりすまし! 腰に手をあてヤクルト一気のみ。おばあちゃんは孫一に
男を感じるのでした。
 そんな孫一でしたが翌日は熱発。お目当てのユニバーサルスタジオジャパンを早々に引き上げるはめになりました。やっぱり3歳だった。



しかし・・


ただでは転ばない孫一。いつの間にかUSJでゲットしたミニヨンの水鉄砲を背にプールに出没。懲りない3歳の夏でした。

 10年後の日本は?

 私73歳になります。まだ働いているのでしょうか。パートで働いていなくても毎日外出する気力はあるような気がします。買い物はいくでしょう。観劇やちょっとした遠出、ランチや散歩くらいはしていたいものです。お金があるときは時間がなく、時間ができればお金がない。とかく世の中はままならないと思っていましたが。「働き方改革」なるものはお金も時間もある生活を目指そうというわけでしょうか??????お金と時間を天秤にかけている限りなかなか働き方も生活も変わらないように思いますが。
 さて「60にして耳順う。70にして心の良くするところに従って矩をこえず。」論語には80から先がありません。70の境地を堪能し80.90、100の新論語を後世に残すことは、高齢化先進国の日本の役割のひとつでしょう。
 耳の聞こえも気になりますが強い思い込みで勘違い・聞き間違いもあり、気づくと上手に取り繕ってしまう私がいたりします。嘘ではないが微妙に都合のよいようにずれてゆきます。自分の経験が勝っているということから離れられないと会話はいつも堂々巡りのまま。私を含め周囲はそんな人ばかりになってしまいます。若い人には耐え難いでしょうねえ。「またおばあちゃん 同じこと言って!」
 若い世代と折り合ってゆくか、はたまた若い人には近づかないか。それが問題だ。
10年後の日本も私もだれでもウェルカムのキャパとお金で買えないものをつかんでいたいものです。
今夏の子規庵 庭から


 
 

2017年7月23日日曜日

孫一 理由なき反抗

himawari by free sozai
「たべなさ~い」というママの警笛に知らん顔する孫一、近頃テーブルマナーなどなきに等しい状態が続く孫一家です。知らん顔、聞こえないふり、お母さんを無視しておばあちゃんにウインクしたり,「今たべようとしたところ!!」と言い訳まで・・・「スプーンをもってたべなさ~い」には、両手でスプーンを握りしめシャベルのようにお皿をつついてみせます。 これにはみんなアングリ。
要求がとおらないと天井に向かって大きく口をあけてワオ~ンワオ~ンとほえます。
 食事中、手も足も体中じっとしているのが我慢できない様子です。テーブルにはいつの間にかおもちゃの飛行機が同席し、気が付くとスプーンで飛行機に食べさせたりしています。「手で食べなさい!」「落とさない!」みんなの声もしだいに震えてきます。
おばあちゃんはいつ食べたか忘れてしまいしばらくするとまたつまんでいたり
してます。これから夏も本番、暑さ対策よりも食事対策に頭を抱えてしまいます。
 私の小さい頃の夏の食事の風景は、すだれがかかる窓際のちゃぶ台に一家がそろい
おちゃわん、お箸、お皿、お椀などがきれいに並び、テレビはなくちんまり座布団に
座るおばあちゃんを囲んで静かでした。企業戦士の父は家族団らんは日曜日くらい。子供はかいがいしく働く母親を手伝うのが当たりまえでした。たぶんその風景は小学校の頃のことでしょう。3歳の孫一の頃にはきっとおばあちゃんの膝に静かに押さえつけられていたと思います。細腕だけど箪笥は一人で動かしてしまうおばあちゃんの力は強かったです。
ごはんつぶが残ると「汗水流して作っているお百姓さんに申し訳ない」とおばあちゃんの
圧倒的リアルな発言に子供はしゅんとしてしまいます。
 今のおばあちゃんにその威力はありません。情けないような・・・
と少し反省しますが結局「まっ いいか!!」「次、頑張ろう」と先延ばししてしまっています。そうこうするうちに孫一は我慢できない男子に成長してしまうのでしょうねえ。
くわばら。くわばら。お母さん!一緒にがんばろうね。

 

2017年6月27日火曜日

水無月 涙・涙

   
                                       


 今年の6月23日は訃報が重なってしまいました。 従兄・同僚の夫そして麻央さんと・・みんなガンでした。こんなにガンを身近に感じた日はありません。偶然とはいえ・・・なんともやるせない気持ちでいっぱいです。
 麻央さんの夫の海老蔵さんのブログをはじめてみました。気持ちが痛いほど伝わってきます。いつものように写真を撮ってブログを書く、アップすることでひとつ気持ちに区切りをつけて前に進んだような気持ちになる。家族や友人、仕事に支えられていることに感謝する気持ちもよくわかります。
 家族や隣人を失う喪失感は自分が思っている以上の感覚を呼び覚まし、しばし翻弄されてしまうもの。そういうときいつもやっていることをいつものようにすることにとても深い意味があります。そうしないと悲しみから抜け出せなくなってしまうからでしょう。掃除・洗濯・調理・ゴミ出し・化粧・仕事・・・そのなかで仕事が一番いいかもしれません。事情はともかくやらなければならないことに気持ちが向きやすいからです。
 しかし心配なのが老々介護の場合 連れ合いの世話をやく仕事がなくなってしまえば途方に暮れてしまうのではないでしょうか。友人も先に逝き、支えてくれる家族もなく、耳目の力も衰え足腰も弱い身で感じる喪失感は、格別なことでしょう。そのときのために何を準備しておいたらよいのでしょうか。高齢者もまた、最後まで自分らしくあるために・・・・。なりたい自分になろうという気持ちをいつまでも持ち続けようと思います。
 ご冥福をお祈りいたします。

2017年6月19日月曜日

大好き! 孫一

孫一 はじめて 自画像を描く


大きな耳、クリクリヘヤ―、黒い目、 赤く大きな唇 と孫一の特徴をよくつかんでるようにおばあちゃんには見えます。眉毛は、おそらくアンパンマン。お鼻の形に迷いがあるもののクレヨンの力強さに圧倒されました。元気のでる一枚です。

2017年6月16日金曜日

自画像と孫一

保育園年少組 毎日燃焼しきっている孫一と仲間たち
今日のお題は 「自画像」 『3歳児になると自分というものを認識しはじめる』と保母さんがそんなテーマをクレヨンを投げ飛ばして遊ぶ子供たちに提案しました。
 さて孫一が真っ先に手にとったのがブラウンのクレヨン
「ぼくはだんだんこの色になったんだよ」と友達に説明する孫一。保母さんはお母さんがそういって説明しているのかなと感心したようですが、当のお母さんは ???。 実は孫一が自分で考えたことだったのです。顔の色 みんなと少々違うなあと思っているのかな?孫一君。どんな自画像を描いてくるか楽しみです。顔の中で一番色を必要とするのがお肌の色ですが線にするか面にするかそれぞれでしょうねえ。肌の色にこだわらず輪郭を描いて終わりもあります。おじいちゃんはアンパンマンを赤で描いたり、青で描いたりしています。自分の顔ということでアンパンマンよりはリアルに感じれるか 孫一! 
 大人が感じるほど肌の色に意味を感じているわけではない子供たちです。意味がでてくるのは大人たちの影響が大きいでしょう。これからですものね。
 お母さんたち、保母さん。肌の色の意味を考えるこんなプロジェクトがあることを知っていますか。
スペインの写真家 アンジェリカ・ダスのプロジェクト
「肌の色は肌色です。」と決めつけず、微妙な色の違いに気づかせてあげるのもこれからのグローバルで多様な世界を生きる子供たちには必要な感受性かもしれません。
 クレヨンの色を混ぜて使うというのは まだちょっと難しいテクニックかな? 色を混ぜる面白さが高じてみんな真っ黒になっちゃうかもねえ。
 3歳の自画像は 満艦飾の笑顔が並ぶことでしょう。保育園お迎えが楽しみです。

2017年6月13日火曜日

京のアジサイ 天文学街道

京都御苑のアジサイ
梅雨入りはしたけれど まだ爽やかな風に恵まれるグッドタイミングで京都に行く機会ができました。今回はNPO法人 花山星空ネットワーク主催の京都千年天文学街道 暦合戦コースの参加が目的。と年1回 娘の 生活探訪もかねています.まだまだ気ままに旅行に行くわけには行かず 自分と家族に言い訳が必要なしだい.
 原作冲方丁氏「 天地明察」の映画は江戸時代の暦合戦を題材にしています。月食 日食の日をあて暦の正確さを競うところが映画の肝になりました。暦に関連して観測機械を乗せる石台を見学しました。星空観察の歴史をまじかに見ながら陰陽道のお話しを聞くのもなかなかオツなものです。そもそも暦は、中国伝来の天体観察に始まります。日本も古く794年桓武天皇の御代に大将軍(北極星)を祭る神社が最初に遷都された平安京大内裏の北西角(陰陽道でいうところの天門)に建立されました。 
 陰陽道は当時自然界と人間界をつなぐ役割を果たし権力者の庇護を受け戦国、江戸時代を生き延びますが、欧米文化に傾倒する明治政府に切り捨てられるという運命をたどります。陰陽道のスター安倍晴明末裔のお話しには「映画のように安倍晴明は飛びません!」という現実が見えてきました。
若一神社 平清盛お手植えの木
コースは平清盛御手植えの木のある若一神社に始まりました。源平合戦の物語では
貴族がもつ陰陽道の知識により日食を予見できた平家が唯一勝利を収める下りがあります。平家滅亡のきっかけになる平清盛の熱病死と超新星(SN1181)の出現も有名な話です。そのときの星の輝きの名残りを私たちは空にみることができるそうです。平家物語が後世に語り継がれているのは星や宇宙と人間界をつなげ悠久の時間を感じさせるからでしょうか。
 
 今も昔も超新星や日食・月食、天変地異の事実を受け入れるにはなにかと理由が欲しいところ、理由を目で見た事から考えようとする人もいれば目に見えないものの仕業に求めようとする人もいます。理由など考えられないくらい圧倒されてボーっとしている人もいればそのときの自分に都合のよい理由に飛びつく人もいて人それぞれです。たぶん私は御都合派のような気がします。
 平安の人々の生活の中心にあった大将軍(北極星)や今いずこというところです。明るくなった都会の空に北極星は見えますが空を仰ぐ気すらならなくなってしましました。足元ばかり見ています。まして北斗七星など見つかるかしら。大将軍神社には、北極星と北斗七星を人型に著した等身大に近い8つの神像が、ほかの神像とともに安置されています。どの神像もギョロっと目をむいていて優しい仏像の目と違い意志の強さ、何かに立ち向かおうとする表情を今に伝えています。夜空の星を神に見立てて祈るものに畏敬の念を抱かせるためでしょうか。平安の世の人たちはこうして星々に守られて生活していたようです。夜になると満天の星が姿を現す時代、星に見守られていると思える時代です。今は
星でなく電気、自分で消します。見守るという意味では寂しい時代となりました。そういえば、東関東大震災の日の夜空には多くの星が見えて被災者を慰めたと聞きます。
 観光客でなく普通にお参りして神社の湧水を汲んでゆく人やまだ新しい季節行事の案内のちらし、ひっそりかんの安倍晴明を祭る稲住神社には昔から続く小道が残されています。都会の生活でなくしたものを発見したような新鮮な京都探訪でした。
大将軍神社 中央のモニュメントが北極星


  


2017年6月5日月曜日

詩の魅力 言葉で描くケルト的風景画

 W.B.イェイツの詩のファンは多いでしょう。特にアイルランドの自然や望郷、出地への自尊心、反植民地の反骨スピリットは長く世界中の人を捉えてきました。日本とも縁の深い詩人で松村みね子の日本語訳を通して芥川龍之介もその神秘的な世界に興味をもったらしいと何かの本で読みました。
 私は、学生時代に楽しんだ詩の数々もいつか生活の忙しさとリアルさに圧倒され忘れ、詩とは縁遠い生活をしています。今「言葉」は、「詩」ではなく「真実」だそうで「報告・連絡・相談」=「報連想」がもてはやされ「真実」を語れない人はメディアでは痛い目にあいます。「真実」を語ろうとしてたくさんの言葉で紙面や画面が埋め尽くされているのに、そこで使われる言葉は、読み手の強い思い込みで、誤解され広まりいつのまにか記憶の中から消えてゆきます。気分の赴くままに言葉を発して終わり。このブログの言葉もそうですねえ。
 「詩の言葉」は、不思議なものだなあと思います。イェイツが生まれた19世紀後半から20世紀前半の社会を知らなくても共感できます。わずかな言葉で・・・
蓼科 田舎暮らし
都会の喧騒の中に住んで、故郷の自然を思う気持ちは今も同じではありませんか。イェイツは詩のなかでアイルランドの故郷スライゴ―にあるギル湖に浮かぶ島を、「イニスフリー」(ゲール語でヒースの島という意味)と呼んでその自然をすごく魅力的に、深く思い描いています。まるで風景画を目の前にしているようです。イェイツの風景画は全体の風景と足元の生物が呼吸する自然が一度に画面に見え、感じられます。それが言葉で描くことの威力なのかもしれません。
 「イニスフリー」はイェイツが故郷への思いを象徴するためにギル湖の島につけた名前、今や済州島の自然をセールスポイントにした韓国コスメのブランド名になっています。それはさておき。詩は、蜂の羽音 ⇒ コオロギ ⇒ ムネアカヒワ ⇒ 湖岸のさざ波と読者をいざない最後の2行が以下のように結ばれます。
  
      While I stand on the roadway, or on the pavements gray,
      I hear it in the deep heart's core.
                    The lake Isle of Innisfree
  
  
都会の街角、灰色の歩道にたたずむ僕の
  心臓の真ん中の一番奥で、その音が聞こえているから。
                    湖の島イニスフリー 栩木伸明訳

 この詩が鑑賞できたのは、昨日開かれたイベント『芸術をめぐる物語 特別講演シリーズ言葉で描くケルト的風景 W.Bイェイツとアイルランド詩』のおかげです。
 町の煉瓦づくりの瀟洒な建物のアトリエの一室、洋画材の匂いや石膏モデルに囲まれながらアイルランド文学者の大野光子先生のお話しを聴きました。先生の英詩の澄んだ朗読が素晴らしく束の間アイルランドの透明感ある空を見上げることができました。
セカンドライフに田舎暮らしを夢見ている諸氏にささげたくなる詩です。
 先生はもうひとつ詩を紹介されました。「The Stolen Child  さらわれた子」です。
この詩もイエーツの代表的な詩のひとつです。私は実はこの詩の方に興味があるので、
もう一度 鑑賞してみたいと思っています。戦争や事故に巻き込まれる子供、家庭内暴力や貧困の犠牲になる子供が絶えない昨今です。ロンドンの喧騒の都会に住みながらも植民地時代のアイルランドに希望を見出したイエーツの言葉が知りたくなります。 19世紀後半から20世紀前半、イェイツの生きた時代と今21世紀、人間あまり遠くにいっていないような気がします。




    
 
 

2017年6月4日日曜日

藍さんに 花束を!

 私は ゴルフファンではないが、宮里藍さんは知っている。藍さんの引退会見をみた。潔いと思ったが、負けを知らないプレーヤーが勝てなくなる寂しさも伝わってきてさびしかった。最後は涙でしたが30代の女性がしっかり自分を語る姿は、「立てば芍薬、座れば牡丹の風情がありすがすがしいものがありました。
 「なりたい自分を目指して人生半ばでなりたい自分になれました。」という境地をときどき若いアスリートに見てそれをうらやましいと思いひがみたくなる気持ちもないわけではありません。小さいころからこの道一筋に本人も家族も応援する人たちも一丸になって目指した結果にほかならないとも思います。藍さんだけでなく彼女を支えた家族や周囲の人たち、ファンもそれぞれの思いで藍さんの決断を受け止めていることでしょう。
 この道一筋に生きれなった私もこの「なりたい自分・アイデンティティー」という言葉に導かれ、翻弄されながら今もって生きています。
 小学校の頃なりたい自分は「魔法使い」「考古学者」を経て「宇宙飛行士」でした。中学生は「東洋の魔女」高校生は「ジャーナリスト」 卒業すれば「自由恋愛・自由人」結婚すれば「良妻賢母」共働きの自分はいつしか「ひたすら歯車」退職すれば「空飛ぶ芸術家」。末は「いじわるばあさん」か「町内のご隠居」におさまるつもりでいます。
 アイデンティティーはそのときの自分の都合でいくらでも自由にきめればいい。と思うわけで、大いに先人のイメージを借用しようじゃありませんか。アイデンティティーをもっていた方が楽しいし目標も作りやすい。目標があれば時間を短く感じるし達成感に浸ることもできます。失敗が次の力や知恵になるでしょう。そのアイデンティーの組み合わせの人生がたぶん誰にもまねできない「なりたい自分」なのだと思っています。さすが還暦すぎるとずるいねえ。
 「アイデンティティー」が見つからないときは、本でも読み映画をみたり旅してみたりぶらぶら、ごろごろしているといつの間にか向こうから「なりたい自分」がみえてくるように思います。このごろ日本の社会は窮屈になりすぎました。だれもかれもが「アイデンティティー」。目標がないことに耐えられなくなってしまったのでしょうか。
 まっすぐな若きアスリートに学ぶべきは 絶え間ない体力づくりとあきらめない気持ちだろう。と姿勢を正し新聞の藍さんの30代のきれいな横顔の写真を眺めながらここのところ忘れていたストレッチをしています。「なりたい自分」のさだまらなかった時間がこれから役立ちそうな予感・・・人生 無駄なことはなにひとつありません。

 

2017年5月14日日曜日

妙高や 春に名残りの 友の宿 黄桜河童

東京は初夏
今年のゴールデンウィークは全国的に晴れに恵まれました。アメリカ人の婿にしてみれば
「ゴールデンと呼ぶには お粗末な休暇です」が日本の働き者名残りの世代には 嬉しい連休のはず、しかし私の連休の過ごし方を振り返れば恨み節にほかなりません。子供たちも夫も休暇をとるのが精一杯。働く主婦は家事と仕事の合間をやりくりして企画・お膳立て・添乗 ・ドライバーと何役もこなし月並み家族らしく連休を過ごします。連休終わればお土産持って職場復帰 やっと一休みという年が何十年も続いたものです。連休明けの職場ほどほっとするものはありませんでした。連休はじめは仕事からの解放感を味わい、連休が終わると家族からの解放感にひたるという贅沢な悩みです。共働きだと子どもにうしろめたさがありますから 連休ぐらい一緒に過ごさなければと義務感が先立ちます。管理職になってからは仕事がさらに重たくなり子供へのうしろめたさどころではなく生活にめりはりもなくなってしまいました。そんな時期の母のための介護退職でした。お母さん 万歳!キャリアを積むことは断念せざるを得ないものがありましたが「捨てる神あれば拾う神あり」というところ
 定年で退職する人に比べて早く退職した分健康寿命を会社の仕事とは違うことに使うことができます。新しい事業を始めるにしてもまだエネルギーがありそうな気がしますが 新しい事業を起こす経験がありません。サラリーマン生活が長かった主婦は、退職しても経済的自立にこだわります。サラリーマン時代に身につけたノウハウを今度は会社や家族にでなく自分のため 、世界のため、に使ってみよう。というのはどうでしょう。結構イケルかも。
 仕事を離れて友と過ごす時間も多くなりました。友達と会わなくなって50年 今その友達たちが私には旬です。これも拾う神のひとつです。 友達と遊んでいると「私 まだまだイケルかも」そんな気がしてきます。活ける!行ける!イケル!と感じながら朽ちて生きたいな。と妙高山 を見、野尻湖のボートに揺られながらボーット思う休日でした。





 
 

2017年5月13日土曜日

孫一 女難

新しい保育園生活も1ヶ月を過ぎました。結構楽しんでいる様子におじいちゃん
おばあちゃんも一安心というところ「自分でやるー」と近頃はヘルメット被り ベルトをはめる。ジャケットのファスナーも自分ではめて上に上げる。自転車の後部座席によじ登り安全ベルトを締めバーを下ろしてスタンバイ。おまけに「レッツごー」!です。
 いやはや いやはや 成長の早いこと。
ある日マミーが迎えに行くと「○❌△!@!&孫一 !!、孫一!!!」と女子に囃し立てられている孫一を発見。孫一 ヘン顔で応戦!!様子を伺っていたものの我慢ならずマミーは3歳女子に「人にそういう言葉はつかうものじゃない!」と一喝。翌日のお便り帳でマミーは先生に報告しました。でかしたマミー 。初期消火だね。
 集団遊びが始まる3歳児。今は男女入り乱れての鞘当て合戦が繰り広げられてるはず です。男の子たちがベビーギャング化し女の子がそれを横目でみながらママの真似にいそしむようになるまでにはまだまださまざまなドラマが展開することでしょう。翌日 マミーは女の子のお母さんから「ごめんなさい」と謝られ、「先生からも「女の子たちはまだ言っている意味がわかっていないが注意してみて行きます。知らせてくれてありがとうございました。」と言われ一安心したところです。 
  みんなより一回り大きい孫一、クリクリ頭でコーヒーブラウン の肌 時々英語 がついてでて、パパ はアメリカン人。いよいよ始まったかとおじいちゃん おばあちゃんはドキドキするばかりです。おばあちゃんは 孫一に「いやだったら大きな声でいやだというのよ。最初に言わないと繰り返すことになるよ。と照れ臭そうにしている孫一を励まします。とはいっても3歳の初体験では何を言われているか よくわからないというのが本当のところでしょう。だからこそ大人の目配り気配りが大事ですねえ。

 世のお母さん !良い友達づくりは良い言葉からですよ。励ましあい切磋琢磨しあう友達にめぐりあうのも相手を尊重する言葉に包まれて育てばそんなにムヅカシイことではないでしょう。「オイ K!昼メシ食わないか?」なんて女子が平気でいう時代です。人間関係の始まりのこの3歳の時期に親が言葉に注意を払うことは多いに子育てに役立つはずです。見た目にとらわれないナイスガイやチャーミングな女子は相手を尊重する術を知っていますよ。

 翌日 保育園の部屋の隅で女の子に髪の毛を梳いてもらっている孫一をマミーは発見 することになります。まんざらでもない孫一の様子にそれなりに女子の注目株になっていることをマミーもおばあちゃんも知ったのでした。



2017年5月1日月曜日

ファミリー プロジェクト

マミーとダディがマニュアル片手にスターワーズ シップを完成!
孫一は、その周りを飛び跳ねていたことでしょう。次にがシップの屋根が開くとき 中は孫一の世界が展開しているだろうとはダディもマミーも知りません。



 おばあちゃんは山にタケノコ狩りへ行きました。
おばあちゃんのお母さんの兄姉も今はなく従兄弟たちばかりです。残された次世代は楽しく母たちの残してくれたものをシェアし賞味しています。友達も輪に加わりいっとき大家族の様相を呈しました。翌日おばあちゃんは、久しぶりの二日酔い。


友達から新たな孫の誕生と嫁の頑張りを喜ぶメールも届きました。
 おばあちゃんの優しい目がファミリープロジェクトにはかかせません。
  北から聞こえる一大ファミリープロジェクト には若い指導者を諭すおばあちゃんの目はないのでしょうか?



2017年4月24日月曜日

エプロンと私

 毎年 春にズブロッカというポーランドのお酒を囲んで亡きボスを偲ぶ会が
あります。ボスとは 日本のX線天文学の旗印。パーティーの主役はもちろん
ボスの奥様。奥様も米寿となり集まられる方々も前線を退かれてはいるものの
旺盛な好奇心と研究魂をのぞかせてチャーミングです。
 毎度食材を持ち寄ってのパーティーで春の宵を楽しませてもらっています。
白髪の方々がボスの奥様をいたわる姿に宇宙元年を生きてきた人たちのやさしさが
感じられます。奥方が集う場でもあり研究者の半分子供みたいなところの残る夫と
どうお付き合いするかが主な井戸端会議のテーマになるわけでこちらも楽しい。
「私だけでなかった!!」と励まされます。
 夫たちは酒類、妻たちは料理を持ち寄り妻たちの必須アイテムがエプロン。
私もこのときばかりはエプロンをもって出かけます。この日の女主人は手製の
小花柄のロマンチックなエプロンでした。なので女性陣はみんなエプロン姿。
それがこの場の雰囲気を作っています。気取らず適度な緊張感で、私も束の間
良妻賢母になりきります。平均年齢は70代まさに昭和です。女たちの旗印は
やっぱりエプロンなのです。
 研究者の妻も専業主婦から共働き夫婦、研究者同士の結婚で別居生活、海外生活とグローバルになり変わってきています。ズブロッカも輸入元の事情で手に入りにくくなっているとのことでした。今年が飲み納めです。こうして春の宵はふけてゆきました。エプロンおばさんの生活スキルと拡散する家族の孫育てやムズカシクも素直で頑固な夫の操縦術などなど。しっかりドレッシングのきいたグリーンサラダ、絶妙なローストビーフ、セロリの炊き込みご飯と今年もまた女主人の手料理にノックアウトされた面々でした。

2017年4月18日火曜日

復活の物語

ここのところ 本に恵まれています。先ごろ「人はなぜ物語をもとめるのか」
という本を読みました。著者は物語を多角的に研究し古今東西の物語を分析しその根源に
ある人間の性に取り組くまれています。
 『あなたは「物語る動物」です。』という第1章の目次が目を引きました。
最終章では宗教も物語りであるという立場をとって新鮮です。人は信頼をベースにした「渡る世間に鬼はなし」と不信をベースにした「人を見たらドロボウと思え」の間を行き来して
物語りを紡いでいる動物だというわけです。紡いだ自分の物語りにこだわりすぎることへの警鐘をならしています。この本は自分の生き方から逃れられず苦しんでいる人に向かって語りかけているようです。

ウクライナ・エッグ
さて復活祭は人が生まれ、他の人の罪を背負って迫害され処刑され再び復活したことを喜ぶキリスト教の物語です。春の訪れと合わさって世界中でいろいろな物語に形を変えて浸透しています。いつの間にか復活祭の食べ物として卵に着色する習慣が定着しました。 卵から生まれるというイメージより 堅い殻を破る生命力に復活の意味を重ねたのでしょう。人は殻を破って生き返ることができるという象徴的なメッセージかなと思います。

そこで自分の物語に目を向けてみるといっぱい物語を作って生活していることに気がつきます。
 朝のゴミ出しにいって近所のおばさんと話をしている市井の私
 かばんに書類をつめてるキャリアな私
 孫を思いっきり甘やかして楽しんでるババ臭い私
   魚のはらわたを掻き出して夫より手を汚しているぞと悦にいる私 
    悲惨なニュースでいたたまれない気持ちをいつまでもひきずってしまう私
    大河ドラマの主人公を自分に重ねてしまう私 などなど
 
問題はそれぞれの物語りにこだわり続けると心身ともに頑なになって自分の物語から
離れられなくなるということでしょう。
 やっぱり全身満遍なく動かすラジオ体操や好き嫌いのない食習慣、乱読や新聞など自分の好みの物語と関係ないところから刺激を受けることは決して無駄では無いようです。新しい物語のヒントになるからでしょうか。理不尽な悲しい物語から復活する物語へ、浅い物語から深い物語へ、深い物語から浅く楽しい物語へといろいろな物語りを作り続けて一生を終わりたいものですね。
 ひとつの物語りの主人公にこだわって苦しくなるくらいなら別の物語りを
自分で作って乗りかえるのも意味があります。1回しかない人生です。
 

2017年4月17日月曜日

究極の女子会

 女子校のクラス会は究極の女子会ではないでしょうか
還暦を超えて集まるメンメンも一段と貫禄を増してきています。
 若いときのように相手の状況を窺いながらバチバチと学校時代の関係をひきずるということもなく単刀直入に聞き 単刀直入に答えています。
 A子「ご主人どうした?」
B子「別れたわよ。」
A子「あらゴメン  で今何してるの?。」
B子「今はね非常勤だけど会計事務所に勤めてるわ。
  私もいろいろ苦労したのよ。」
  それぞれの艱難辛苦を言外に感じ取りながら深入りもせず
かといって聴かぬふりもせず 空気を凍らせることもありません.
 欠席のハガキには 残念な気持ちと近況報告がいっぱい書かれて
ありました。
 海外ボランティアで活躍する人 地域の老人会を主催する人
まだ仕事している人 マンション組合の音頭をとることになった人
孫が7人 の人  自営を手伝う人   絵を描き続ける人 舞台に立つ人
 そして1番多かったのが家族の介護にあたる人
 究極の女子会はさまざまな人生がいっとき交錯した時間になりました。
 皆んなオトナになりました。教室でよく見られたお弁当友達の輪、
喧嘩、いじめ、大はしゃぎ、大笑い、ダンスや鬼ごっこは影をひそめ
静かに座っておしゃべりを楽しんでいます。
 ほどほどに忘れっぽくなっているのも幸いしているよう。いつまでも
学校時代の関係をひきづっていては直面している介護や仕事、
自分の健康に立ち向かえないですものね。


2017年4月10日月曜日

吉野天人が風邪ひく前に

赤坂迎賓館をのぞむ

四谷 清水谷公園

等々力不動の花祭り

等々力渓谷から多摩川へ

多摩川土手

バイバイ 私の60代

 この「暮らしを紡ぐ 異・職・柔・遊ぶ」のブログを書き始めて10年272のコンテンツになりました。10年一仕事というわけで店じまいをすることにします。これもけじめかなとおもいます。 バイバイ60代!私にとっての節目の季節に二人の師匠がなくなりました。9月には、カトリック教会の森一...